SDA東京中央教会

はらじゅくニュース

『ダビデの心のすばらしさ』
東京中央教会長老 今 勝

 サムエル記上16:7「しかし主はサムエルに言われた、『顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る』。」とあるが、では少年ダビデの心中には一体何があったのであろうか、それはゴリアテとの戦いにおいて、自分の生命をねらうサウルとの対応において、王位についてから正義と公平をもって国を治めたことを通して知ることが出来る。ダビデのこころは神に栄光を帰すことであった。またダビデの行いを神が目ざとく見抜いてそれをよみし、王位にみちびかれたのである。ダビデの心のすばらしさを示すひとこまをあげると、サウルに生命をねらわれて逃亡中、ダビデと部下達の留守にアマレク人がチグラグを襲い、街を火で焼き、ダビデと部下達の妻子を捕虜として引いて行ったが、ダビデはアマレク人の後を追い、アマレク人を討ち、それらを取り戻し、また、羊や牛や多くのぶんどり物を得て、ペソル川にとどまって荷物の番をしていた200人の者たちのところに帰ってきて、安否を問うたときのことがある。サムエル記上30:22〜25「そのときダビデと共に行った人々のうちで、悪く、かつよこしまな者どもはみな言った、『彼らはわれわれと共に行かなかったのだから、われわれはその人々にわれわれの取りもどしたぶんどり物をわけ与えることはできない。ただおのおのにその妻子を与えて、連れて行かせましょう』。しかしダビデは言った、「兄弟たちよ、主はわれわれを守って、攻めてきた軍隊をわれわれの手に渡された。その主が賜ったものを、あなたがたはそのようにしてはならない。だれがこの事について、あなたがたに聞き従いますか。戦いに下って行った者の分け前と、荷物のかたわらにとどまっていた者の分け前を同様にしなければならない。彼らはひとしく分け前を受けるべきである。この日以来、ダビデはこれをイスラエルの定めとし、おきてとして今日に及んでいる。」
 バテシバ事件などいろいろありましたが、ダビデの心のすばらしさから学ぶべきだと自らに言い聞かせております。