以前、『毎日新聞』の『余録』に次のような記事がありました。

「明治生まれの文学者、楠山正雄のまとめた昔話が『むかし むかし あるところに』の題で小型の美しい本に生まれ変わった(童話屋)。『花咲かじじい』『舌切り雀』『かちかち山』『桃太郎』――懐かしさにかられて読むうちに、なぜお父さん、お母さんではなく、おじいさん、おばあさんなのか不思議になった。疑問は哲学者・中村雄二郎さんと劇作家・別役実さんの対談で解けた。

『お父さん、お母さんから子供へというのではなく、おじいさん、おばあさんから孫へという情報伝達回路が重要だったのではないか』と言うのは別役さん。

『極端に言えば、結局、親から子へというのでは文化は伝わらないんだと思うんです』と語るのは中村さん。

かつてはおじいさん、おばあさんから孫へという教育があった。今では、お父さん、お母さんから子供という局部対応する教育になってしまった。親から子に伝わるのはせいぜい実務的なことぐらいで、おじいさん、おばあさんがいないから、精神的なものが失われてしまった、と両氏は口をそろえる。2代止まりでは危ないというのがお二人の結論だった」。

昔も今も、お父さん、お母さんは今を生きることで精一杯。特に共稼ぎのご家庭が多い中、我が子に伝えることといえば「何を着るか、何を食べるか、どこの学校に入るか、どの塾に通うか、どこに入社するか」、とても文化の継承までは手が回らないのが現状かもしれません。

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイによる福音書 6章31~33節)。

その点、おじいさんやおばあさんは、ご自身の人生を振り返り、人間にとって大切なものが何であるかを実感しています。時間的余裕もあります。そんなおじい様、おばあ様が、目先の必要に翻弄されることなく、未来を見定めた大きな視野の中で最も大切な事柄をお孫さんに伝えることができるのかもしれません。

核家族化のすすむ中、家庭から「おじいさん、おばあさん」がいなくなり、学校教育からも精神的な教えが消えつつある昨今、誰が、どこで、子ども達に精神的な文化、正義や道徳、神の国と神の義を継承してゆくことができるのでしょうか。

そのような意味で、私たちのもう一つの家族、天の家族としての教会の果たす役割は大きいのではないかと思われます。教会において、子ども達は人間にとって最も大切な事柄を学び、神様の尊い御言葉によって養われてゆくでしょう。

そして大人たちも日常の生活で忙殺されようとしている最も大切な事柄を、この教会によって思い返し、神の国と神の義を自分の人生の基とすることができるのだと思います。