「オーナーマインド」という言葉があります。「オーナーマインド」とは、従来の会社に従属するサラリーマンという意識を捨て、従業員であっても経営者(オーナー)の考え方(マインド)を持つということです。

有名な例話として、次のようなものがあります。

「何百年も前、あるところで大寺院をつくっていた。現場で働いている人に『あなたは何をしているんですか』と尋ねると、一人は『煉瓦を積んでいます』と答え、もう一人は『大寺院をつくっています』と答えた」。

2人とも同じ作業をしています。ただ前者は、目の前のことをこなしているだけです。賃金をもらうためか、あるいは監督に怒られないためか、ただただ煉瓦を積んでいたのです。一方後者は、経営者(オーナー)と志を共有していました。その働きの本質的な意味をわきまえた上で、誇りをもって煉瓦を積んでいたのです。彼はオーナーマインドを持って働いていました。

オーナーマインドを持つ人は、その働きに喜びと充実、誇りを持つことができます。体が疲れることはあっても、心は疲れません。その働きに生きがいを見出すからです。

イエス様はおっしゃいました。

「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネによる福音書 15章15節)。

イエス様は私たちを友として、もっというなら共同経営者として、オーナーマインドを持って、ご自分の働きに参与するよう、招いておられます。

たとえば、夫が仕事から帰ってきたとします。家に入るや、妻の機嫌が悪い!

夫は思います。「ちぇっ、嫌だなー、なんとか機嫌を直してもらうため、皿でも洗うか」。夫は妻に気を使って皿を洗います。妻は妻で、「何よ、気をつかっちゃって、よけい気分がめいるわ。でもまー、洗うっていうんだから洗ってもらいましょう」。夫の努力は報われません。なぜなら、彼はオーナーマインドを持っていなかったからです。妻の不機嫌に対処するため、嫌々ながら皿を洗っていたからです。

では、オーナーマインドを持っている夫ならどうするでしょう?

家に帰って、妻が機嫌が悪い!

夫は思います。「彼女、疲れているのかな?夫のすべきことは、妻を愛すること(コロサイ人への手紙 3章19節)。お皿を洗ってあげよう」。夫は妻のため、心を使って皿を洗います。妻はそんな夫を見て、「やっぱりうちの夫は素敵!」。夫はオーナーマインドを持っていました。

前者は気を使い、後者は心を使います。気を使うとは自分の為。心を使うとは相手の為です。キリストのオーナーマインドに生かされる人は心を使うことができるのです。