「主人公」という言葉があります。映画やドラマの主人公、小説の主人公、などと使われる言葉です。 この「主人公」という言葉、実は禅宗で使われていた禅語が始まりなのだそうです。

ある高名な僧侶が、自分を「主人公」と呼んで「はい」と答える、「主人公、目を覚ましているか」と尋ねて「はい」と答える、このような問いかけをひたすら繰り返したといいます。

禅では、「自分をこういう人だ」と決めつけないことが大事だと説くそうです。自分の能力や自分の限界をかってに決めつけてしまうことなく、あたかも、自分の中にもう一人の自分がいるかのように考える。それを「主人公」と呼ぶのです。

もう一人の自分は、いつもの自分よりも自由で、可能性に満ちている。 もう一人の自分こそ、本来の自分。自分の中にいる、真実の「主人公」。

イエス様はおっしゃいました。 「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネによる福音書 3章3節)。

「新たに生まれる」とは、神様からいただいた「永遠の命に生きる」ということです。神様は、イエス様から聖霊を通して、私たちに永遠の命をくださいました。

私たちの中には、本来の自分、可能性に満ちた自分、主の御心を自由に行おうとする自分が存在します。これを「永遠の命」といいます。

私は以前、「本当に聖霊が与えられているのか?本当に永遠の命が与えられているのか?このような自分の中に果たして永遠の命が与えられているのか?」と、神様に問うたことがあります。

神様は即答してくださいました。すぐさま、聖書の言葉が与えられたのです。テトスへの手紙3章6~8節でした。

「神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。 この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます」(テトスへの手紙3章6~8節)。

聖霊が注がれたことも、永遠の命を受け継ぐ者として生まれたことも、ギリシャ語では過去形が使われています。私たちには、すでに聖霊が豊かに注がれ、永遠の命に新しく生まれているのです。

あとは、私自身が、永遠の命、新しい命を選ぶのです。 「主よ、聖霊をお与えくださり、感謝します」。 「主よ、永遠の命に生かされておりますことを感謝します」。 声に出してお祈りすることは効果的です。

また、聖書の言葉、証の書の言葉は、永遠の命に栄養を与えてくれます。 そして、御言葉を実践するという運動は、永遠の命を丈夫にしてくれます。 神様は永遠の命の実を豊かに結んでくださることでしょう。