「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
(マタイによる福音書4章4節)

私たちは神様の御言葉によって生かされています。神様の御言葉によって幸せに生かされるのだと思います。

イエス様はおっしゃいました。 「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
(ヨハネによる福音書15章17節)

「互いに愛し合う」とは、その言葉の意味の中には、「お先にどうぞ」ということが含まれていると思います。これは実に日本的な美徳の一つです。

自分の都合や自分の主張ばかりするのではなく、相手の都合をわきまえて、相手の意見をまず聞かせてもらう、相手の思いを大切にする、という態度です。

ところが、実際、私を含めて人間はついつい、自分が正しい、自分の願いはこうだ、自分の言い分はこうだ、自分のことをもっとわかってほしい、という思いにかられます。

そして多くの場合、そのような思いや態度から混乱や争い、悲しみや憎しみが生まるのだと思います。

そこで、いっそのこと、御言葉どおり、互いに愛し合い、「お先にどうぞ」という態度を取らせていただくなら、どうでしょう。もっともっと、生きやすく、平和な日々を過ごすことができるかもしれません。主の御言葉には主がお働きになるからです。

私の仕事は出張が多く、多い月になりますと家で食事が取れるのは、一ヶ月のうち7日程となります。おのずと夕食は外食が増えます。外食も飽きてきますと、コンビニエンスストアーで、おにぎり2個とペットボトルのお茶で済ます、といことになります。

その日もホテルの近くのコンビニで、おにぎり2個とペットボトルを1本かかえて、レジに向かっていました。すると・・・・中年のサラリーマン風の男性がせきをきって私とレジの間に割り込んできました。 「これ、ください!!早くして!!」と男性。

「あれ? これって横入り?」と思う私。 店員のお嬢さんも困った様子でこちらを見ています。 私はこれでもクリスチャンですから、 「どうぞ、どうぞ、お先にどうぞ」と店員さんに手で合図。 男のレジが終わり、彼はセカセカと出て行きました。

「たいへんお待たせいたしました」と申し訳なさそうな店員さん。 そんな店員さんに私は、持ち前の笑顔で ニコ!!  すると店員さんも ニッコリ!! 「ありがとうございました」
おまけしてはくれませんでしたけれど、心がホッとする瞬間でした。