一人の牧師が、開拓伝道を始めて2年目、重いうつ病にかかりました。 やるべきことは山ほどあるのに、体が動きません。
そんな中で、彼は、名刺サイズの白いカードに、肯定的な聖書の言葉、そして裏には自分の生活への適応を書き込みました。
たとえば、「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。(ローマの信徒への手紙8:1)」を書き入れて、裏には「私がうつ状態にあっても神様は、私を罪に定めない。調子の悪いときでも、神様は変ることなく、私を愛してくださる」と書きます。
または、「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」(ピリピ4:13)と書いて、裏には、「今日も1日回復へと向かっている」と書き込みます。
日中それをポケットにいれて持ち歩きます。時々それを読み返します。寝る前に、もう一度それを読み、黙想します。4~5週間のうち、彼の病気は癒されました。
私たちは、見ているものに向かってゆきます。 自転車に乗り始めの頃、電信柱にぶつかってはいけない、と思って見ていると、電信柱にスーと引き寄せられてゆきます。 それが何であろうと、自分が焦点を合わせているものに、人は支配されてゆきます。
過去の自分に焦点が合わせられていれば、過去の自分に支配されます。 悪い習慣「こんなことはよそう」と思えば、思うほど、人はそこに向かいます。 それに支配されてしまいます。
反対に、神様が願われていること、神様が私の人生に願われていること、そこに焦点を合わせてゆくならば、私たちは、そちらの方向に向かってゆきます。 「これから自分はどうなりたいのか」「神様は自分をどうなさりたいのか」 そこに焦点を合わせてゆくのです。
そのために絶大な効果を表してくれるのが… 聖書の言葉、神様のお言葉、聖句です!! 私など、思い煩いに支配されやすい人間のひとりですので、ふと気づくと、気分がふさぎ、思い煩いに支配されています。いつのまにか暗い顔をして家族に迷惑をかけていたりします。
そこで、前述の牧師の真似をさせていただきました。ちょうど名刺が切れていましたので、知り合いの印刷屋さんから名刺の印刷と一緒に名刺サイズの紙を安く分けてもらいました。 そこに聖書の言葉を書いては、裏に生活の適応を書き留めます。それを名刺入れに入れて、事あるごとに読み返します。もしくはその言葉を思い返すのです。
否定的なことを考え出した時、思い煩いに心が奪われそうになった時、聖句を読みます、聖句を思い巡らします。 効果覿面!これはおすすめです!
しかも、聖書を読む時間が確保されます。 毎日聖句を探しますので。 飛び切りの聖句を探すことが日ごとの楽しみになります。 自分だけのお宝聖句を見つける作業はなんとも楽しいものです。
犬と骨と肉という喩えがあります。 骨をくわえた犬から骨を奪おうとすれば、犬は必死で抵抗します。 けっして口から骨を離そうとはしません。
しかし、隣においしそうな肉を置けば、簡単に骨を手放します。 思い煩い(骨)から解放されるためには、それを考えないようにすればするほど、手放すことができません。
しかし思い煩い(骨)の代わりに、聖書の言葉を(おいしい肉を)置くならば、思いはそちらに向けられてゆくのです。
「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(フィリピの信徒への手紙4:8)。 是非、お試しあれ!!