キリスト教でのお葬式に関しては牧師にご相談ください。
死は眠り
大切な家族や親友を亡くすと、人は誰でも深い喪失感と悲しみにうちひしがれます。しかし、死は永遠の終わりではなく、眠りであり、永遠の命と復活の希望があります。聖書には次のように書かれています。
「兄弟たちよ、眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。 ・・・ すなわち、主ご自身が ・・・ 天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っている私達が ・・・ 主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。」
(テサロニケ人への第一の手紙 4章13~18節 )
「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。 ・・・ というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。」
(コリント人への第一の手紙 15章51、52節)
また、私たちの教会の創立者の一人であるエレン・ホワイトは次のように述べています。
「キリストは、信じる子らにとって死は眠りであると言っておられる。彼らの生命はキリストとともに神のうちにかくれているのであって、死後のラッパが鳴りわたるときまで、死ぬ者はキリストのうちに眠るのである。」(各時代の希望(中巻) 341頁)
永遠の命と復活の希望についての聖書の言葉
「・・・イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。』」
(ヨハネによる福音書 11章25、26節)
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネによる福音書 3章16節)
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう。」
(ヨハネによる福音書 6章40節)