なぜ安息日が第七日(土曜日)なのか
聖書には安息日について書かれてあります
「こうして天と地と、その万象が完成した。神は第七日にその作業を終えられた。・・・神はその第七日を祝福して、これを聖別された」(創世記 2章1、3節)
「安息日を覚えて聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息である」(出エジプト記 20章8~10節)
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓を見に来た」(マタイによる福音書 28章1節)
「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤにご自身をあらわされた」(マルコによる福音書 16章9節)
「もし安息日にあなたの足をとどめ、・・・これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時、あなたは主によって喜びを得」る(イザヤ書 58章13、14節)
「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(マルコによる福音書 2章27節)
以上は安息日についての聖句の一部ですが、第七日(土曜日)が安息日であることが明らかです。イエス・キリストが金曜日に亡くなられ、日曜日に復活されたこともこれらの聖句からわかります。
一般のキリスト教会が日曜日に礼拝しているのはなぜか?
それは教会が聖書の根拠なく「変更した」と主張し(その変更が聖書に基づいていないことを知らない教会もある)、紀元4世紀頃から日曜日の礼拝が続いているためです。
「われわれは、七日目でなくて、第一日を聖なる日とする」(カトリック教会・教理問答)
「プロテスタントの日曜日遵守は、彼らが、それとは気づかずに、カトリック教会の権威に従っているのである」(Mgr.Segur著『Plain Talk About the Protestantism of Today』213頁)
以上より、聖書をよく読むと、安息日は日曜日でなく土曜日であることがわかります。
ただ、聖書をどう解釈するかは自由であり、これと異なる見解を有する教会やその立場を否定するものではありません。他教会の方々に対しては、遵守する曜日こそ異なりますが、それ以外の教義は多くの点で共通しており、敬意をもって接するべきだと考えております。