2009年10月 第275号
「見えないものに目を注ぐ」
東京中央教会長老 熊谷 幸子
木々がすっかり葉を落とし、骨のような幹や枝だけで凛然と立っているこれからの季節が好きです。裸木の姿からは、繁茂した緑や紅葉や、美しい花々に目を奪われていた時には見えなかった、木にしみこんだ歳月や、人生の起伏のようなものが伝わってきて、心が揺さぶられます。こんな日は、とりわけバッハの「マタイ受難曲」が聴きたくなります。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』とキリストが十字架上で叫ばれたところにくると、抑えようもない心の震えを覚えます。「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし」。
いつも文語体で思い出すあの言葉は、あらゆる時代と民族を超えた人間の根源的な自己への問いかけでもあると思うのです。かつてナチスに協力したかどで糾弾されたメンゲルベルク指揮の「マタイ受難曲」には、聴衆のすすり泣きまでききとれる名盤があるそうですが、神を失った時代の、神のすすり泣く声なのかもしれません。
「環境破壊の影響で、いい木がどんどん消えていき、心にしみる音色がなくなった」と、あるピアノ職人が語った言葉を最近の新聞が伝えていました。現に今、目の前で起きているこの歪みは、20世紀という時代の人類が目差してきたものの結果なのでしょうか。
確かに人々の生き方は、あまりにも見えるものからくる刺激や欲望に振り回されてきました。そのツケが格差社会をつくり、人間関係までぎすぎすしたものに変えてしまったとしたらもういい加減、目で推し量れる、物や量や数値、順位、といったものから解放され、もっと内面的で深い揺るがぬものに目を向けていかなければ、本当にこの国はおかしくなってしまうでしょう。そんな思いを強くしていた頃、サインズ誌から、来年1月号の日野原重明先生との対談のご依頼がありました。編集長と担当者に会って検討し、テーマは、ためらうことなく「見えないものに目を注ぐ」(コリントU4:18)、キーワードは「成熟」と決めました。
先生もこのテーマに大変共感され、当日は、予定の1時間半をあっという間に上回る対談となりました。98歳にして尚かくしゃくたる秘密は「使命感」に尽きます。命と愛、共に目に見えないものの尊さを子どもたちにこそ伝えたいと、今年も南米やカナダの小学校を訪問されています。聖句や詩が次々飛び出す記憶力には圧倒されつつも、内なる自分の中に、何をどれほど蓄えているかが究極の豊かさとなることを、目の当たりに感じました。
「現に見ている兄弟を愛さない者は目に見えない神を愛することはできない」とヨハネは厳しく迫りました。イエス様も「私がこの世にきたのは……見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」と。改めて「見えない」という言葉をこめた聖句の多さから、人の心がいかに見えないものから離れていきやすいかを痛感します。しかしペテロのこの聖句からは、大きな慰めと祝福が伝わってきませんか。
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている」(ペテロT1:8)。
見えるものから自らを遮断し、神のみ業を瞑想することは私たちの特権でもあるのです。
10月のスケジュール
10/ 3(土) [説]長池 明夫牧師
役員会・長老会・推薦委員会・TIC子羊クラブ
/ 9(土)〜11(日) 青年修養会
/10(土) [説]山本 義子副牧師
子羊クラブ・PFC
/11(日) クッキングスクール
/17(土) [説] 山本 聖二 北浦三育中学校校長
理事会・推薦委員会・TIC子羊クラブ
/24(土) [説]伊藤 裕史牧師
洗足・聖餐式
子羊クラブ・PFC・推薦委員会
/28(水) 英語子供バイブルクラス
/31(土) [説] 茂木 加織 副牧師
子供野外礼拝・推薦委員会
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