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2008年8月 第261号
望 郷 東京中央教会長老 熊谷 幸子 「ふるさとは遠くにありて思うもの」という言葉があります、その遠いふるさと目指して大移動が始まる八月。慣れ親しんだ風景や言葉から引き離されているゆえに覚える郷愁を抱いて、人々は嬉々として生まれ故郷へと帰っていきます。 ノスタルジア、郷愁という言葉は18世紀、山国スイスの男たちが欧州各地に 「私が音を書こうとするのは人間の記憶のため」と言われたのは作曲家の三善晃氏でした。氏が続けて「共に歌うと言う媒体そのものが、沢山の人たちのそれぞれの複雑な心理の奥行きを許してくれる」と加えられた印象深い言葉を、合唱の度に思い出します。 八月はまた、詩と音楽が豊かに交わる月。ふるさとで、大都会で、人々は亡き人を想い、往く夏の光を惜しんで、歌い、奏でます。 音楽が私たちの魂の、そこからもっと先へ、もっと高みへ、深みへと希求させる祈りでなかったら何でしょう。見上げる遥かなものへの希求なくして、人はこれほどまでに歌い、祈ることへとかき立てられるでしょうか。 今年も第三回目の追悼会が、音楽の力に支えられ、この聖堂で開催できますのは大いなる神の祝福です。昨年、一昨年のモーツアルト、フォーレの「レクイエム」に続き、今年はヘンデルの「メサイア」が演奏されます。その中の「ハレルヤ」や「アーメン」は、どなたも一度は耳にされたことがおありではないでしょうか。 年ごとにお別れが多くなっていくのはさびしい限りですが、私たちには天国で、友なるイエスと、主に贖われた愛しい人だちとの再会という希望があります, “場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。”(ヨハネ14: 3) 胸ときめくこの約束を望みつつ、今はただ、天を慕い、天にあるふるさと求めて歩み続けるこの世の旅人にすぎません。今を生きる旅人は先立った人々を偲び、その思い出を大切に分かち合いながら、地上では果たせなかった親孝行や、赦し合うことや、もっと伝えたかった感謝を、祈りに込め歌に乗せて捧げるのです。その時どれほど深く癒しがたいと思われた悲しみや悔恨の底にも、人智を超えた希望が秘められていることに、それがいかに大きな神の慰めと愛であるかに気付かされるでしょう。
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