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2007年11月 第252号                                     

                祈り

                  三育学院神学科教師 里内勝己

 かつて、色々なことで悩んでおりました。悩み以上に苦しんでいたのは、祈りが聞かれないと思ってしまうことでした。それで、先輩の牧師に、次のような内容の手紙を送りました。

 先生、神社に行くことはありますか? 私は、神社へ行くと、おみくじが結わえてある木や、願いが書かれている絵馬をよく見るんです。いったい、この中の幾つの祈りがかなえられるのだろうって、悲しい思いでそれを見つめることがあります。もちろん、彼らはクリスチャンではないです。だけど、やはり彼らも幸せを願ってはおみくじを結わえ、絵馬に願いを書くのですよね? 宇宙を造られた神様だから、人の願いや折りを、やはり聞いておらわると思うのですが。
 イスラエルの首都エルサレムヘ行ったとき、「嘆きの壁」へ行きました。その壁は、ほぼイエス・キリストの時代に、ヘロデ大王によって造られました。その壁がなんで「嘆きの壁」というのかと言うと、ユダヤ人たちがそこで背中を丸めて祈るものだからそう呼ばれるようになったとか、朝露が壁に落ちてそれが涙のように見えるから「嘆きの壁」と言われるようになったとか、色々間いたのだけど、ホントのところは解りませんでした。その壁には、もう一つの伝説がありましてね、その壁を構成している大きな石の間に願い事を書いた紙を入れると願いがかなうというのです。石と石の間には、願い事が書かれた沢山の紙が詰め込まれていました。悲しげでした。その時も思いました。いったい、この中の幾つの願いがかなえられたのだろうって。

 残念ながら、先輩からどのような返事が来たか覚えておりません。しかし今、少し歳を取り、この時とは違う思いで願いや祈りを見るようになりました。確かに、世界中どこに行っても、人の願い、祈りがあります。しかし、すべての祈りがその人にとって本当に良いかどうか、人には判りません。ときとして、子供が大人の目からすれば自分を傷つけるものを欲しがるように、大人になっても本当に大切なものを求めているのだろうかと、自分自身の願いに疑問があります。聖書の言葉ヘブル語では、「祈り」には「自分を吟味する」という意味があります。私たちの祈り答えは、もっと上なる方の目で見なければ判らないのだと思うのです。

 神のなされることば皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、入ば神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。(伝道の書3:11)



◇追悼・小林道雄さん

 10月10日、、長らくご加療中だった小林道雄さんがしばしの眠りに就かれました。安息日の朝、お会いすると、さっと手を上げ明るい声で「やあ、おはよっ!」と仰ったお姿が懐かしく思い起こされます。熊谷幸子さんに思い出を綴っていただきました。

老いるほど、みどり児のように

 今年の3月、南麻布のお宅に伺った時、ご病床にあったにもかかわらず、朝からワイシャツに着替えタイを締めてお待ちくださった小林さんは、本当に紳士でした。奥様と和田弥生さんと私の4人で、一番お好きな讃美歌496番(日本基督教団)「うるわしの白百合ささやきぬ昔を」を歌ったのが元気なお姿の最後だったと聞いています、もう一度ご一緒に神様を讃美できますように、「やあ」というあのお声が再び聞けますように、との願いもむなしく、小林さんは88歳の生涯を静かに閉じられました。
 1988年という同じ年にバプテスマを受けた小林さんとは、朝の安息日学校からずっとご一緒に歌ったり、学んだり、お礼拝をしてきました。物静かな初老の紳士が受洗された背景には、何か特別な事情があったろうことは想像できました。そのことが解ったのは、教会の創立五十年記念誌『この深き出会いを』をまとめた時。小林さんの証はまさに、昭和の凄絶な生と死の記録でした。  
 海軍主計中尉として戦場に駆り出され、特に戦艦キリシマの決死隊員として召集されたソロモン海戦では、雨アラレと飛んでくる敵の機銃攻撃を潜り抜けて生還されたのです。キリシマの闇の船室で、24晟の小林さんは未だ信じたことのない神に向かって叫ばれ、祈られた…本当に、このまま死んでいいのですか…と。
 戦後、銀行に復職され、経済復興の道をひた走りながらも、片時も友の犠牲の上に生かされた己が命に、粛然たる思いを重ねぬ日はなかったと仰っていた小林さんは、やがて、クリスチャンだった娘さんの勧めで、この教会で聖書の学びを始めます。人間の罪が十字架のキリストによって贖われていることを学び、その犠牲の上にあって生かされている自分の残る人生を、神に委ねて生きたいと、クリスマスイブにバプテスマをお受けになったのでした。
 「聖書を学ぶことと祈ることは息をするくらい大切。聖書から学んだ最大の敦えは、人を赦すこと。すべてを神様にお委ねすること、年齢を経ること、みどり児のような信仰に変わっていきます」、この言葉から私たちは、人が辿り着くべき純粋な信仰の姿を覚えます。小林さんの信仰は、痛みからの出発でした。
 ご恵贈いただいた『回想の昭和塾』を拝読しますと、第二次世界大戦の一年前という非常時にありながら、自由な教養人として、国際的視野のもとに国家社会をいかに熱心に考え学ばれたことか。あのひょうひょうとしたおおらかさの中の、物事の本質を見抜かれる深い洞察力と広い視野は、若き日のこの学びと、稀有な体験から生まれたものでしょう。
 戦争が生み出す「驕り」と「不寛容」を、小林さんは真に憂えていらっしやいました。だからこそ、世界が共有できる「祈り」という普遍的な遺産を、誰よりも熱く守り続けられたのです。昭和がだんだん遠くなっていく今、昭和の「あかしびと」として、小林さんにはもう少しお元気で生きていらしてほしかった。もっと証をしてほしかった。でも私たちには、天国での再会という希望が残されています。
 お世話になった奥様の福子さまはじめ、ご家族の上に神様の特別のお慰めとお支えがございますように心からお祈り申し上げます。小林さん、ありがとうございました。                                           (熊谷幸子)




原宿彩彩
●『生きててよかった八十八年』、完成、おめでとう!

 園田夏さんの“自分史¨が発刊されました。信仰と人生の大先輩の、あの明るい笑顔に接していつも感じるのは、深い信仰心から溢れ出る優しさと、そしでエネルギー”ではないでしょうか。今度は、文字を通して、更に力強いメッセージをご発信です。拝読して感銘を受けたのは、正直さと、周りの方々への深い思いやりと感謝の念と、何事にも“めげず”に真正面から立ち向かっていく向日性と晴朗さ。まるで小説のような出来事も少なからず、次々に頁を繰っておりました。特に、お父上が一旦は勘当したお姉様のお子さんに、密かに会っておられたというエピソードには思わず目頭が…、セピア色ながら、おうつくしい肖像の数々、素敵な装丁に加えて中身も何とも言えず艶やかです。                                  (YY)




聖句と私
 ●「鋤に手を懸けてから振り返るな」


                             田村尚子

 イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。(ルカ9 :62)
 この聖句は、おなつかしい立志つき先生がお教えくださったものです。何時であったか、何の折であったか記憶が定かではありませんが、水曜日の午前中、ニ階の副牧師室で、黙示録の学びの時間内であったことは確かです,この他にも声高らかに、力に満ち溢れておっしやったイザヤ41章の10節が鮮やかによみがえってまいります。先生の最後の息の直前の言葉が「最後まで忠実に」(黙示録2 :10)だったそうですが、これらの聖句は今ではすっかりわたしの心の中に根をはやしています。
 前回のこの欄では、確か創世記1章1節をわたしの信仰の原点、などと申し上げたように思うのですが、実はその時には天地創造の神さまがイエスさまであるとは気づいてませんでした。,誠にお粗末で、恥ずかしいかぎりですが、そんなわたしでも、今EIまで受け入れ守り続けてくださっている神さまに誠に感謝です。ひとり子を犠牲にしてもこのわたくしを罪から救おうとしてくださったのだ、と思いますと涙が溢れます。視力があるうちに、もっとみ言葉に親しみたいと切に願うこの頃です。





どうぞ、よろしく!



  原宿英語学校講師 エファニエル(Efaniel Azmen Jubac)

 フィリピン生まれです。母と姉と…、女性ばかりの中で育ちました。私が2歳のとき母が受浸、ほとんど教会で育ったようなものです。小・中・高と、SDAの学校に通いましたが、大学は国立に行きました。3年生のとき交換留学生として東大に。そのとき初めてTICに来たのです。一年間東大で学び、その間、日本のあちこちを旅しました。帰国して大学を卒業後、社会学と人類学に関わる仕事に2年ほど従事。2000年に再来日して、日本ベルリッツで5年、恵泉女学園高校で3年英語を教えました。まもなく2歳になる息子セバスチャンと夫シェリーと共に、世田谷に住んでいます。
 このたび原宿英語学校で教える機会をいただき、生徒さんをイエス様にお連れする機会となるかもしれないと、わくわくしています。決して楽な状況ではない折、教会が支え、スタッフが頑張っているその中に受け入れていただき光栄です。経験をフルに活かし、心を尽くします。文法の基礎を固めた上で、自信をもって自分の考えを自由に表現できるよう、クラスを工夫します。将来、バイブルクラスも教えられるように訓練を受けたいと思っています。「教えることは学ぶこと」、生徒さんともども自分も成長して、聖書を学びみ言葉の真理を広めてゆきたいと願うからです。
 私を信じてスタッフの一員として招き入れて下さった長池先生や英語学校のスタッフに感謝です。何より、このような導きを備えていて下さった神様を讃えます。神様がどのような素晴らしいことを計画していて下さるのか楽しみです。敦会員のみなさまも、ときどき覗きにきて下さい。
◇英語学校より
 まだお子さんが小さいので無埋かとは案じつつお願いしたら、ご快諾! 生徒さんによると、「弱点をすぐ見破り、ピンボイントでグイグイ突いてくるのでキビシイ!」そうです。迷子になった所まで容赦なく後戻りしてやりなおす… 
 基礎固め重視の確実な教え方は、さすがベルリッツ5年のご経験でしょうか。神様のなさることはみなその時にかなってすばらしい!          (横山絢子)





ぽえむ   


秋時雨
無聊(ぶりょう)の思ひ深みけり
三歳児背負ひて戻る
千歳飴(ちとせあめ)        
栗ごはん娘届けし
夕餉(ゆうげ)かな
枯葉踏み音を楽しみひとりゆく
木犀(もくせい)の香に誘はれし廻り道
                     (茂子)

                                                                                     

        

原宿パスファインダ一クラブ 北海道キャンプ報告(3)
〜交流の家で楽しむ!
の巻

 北海道3日目。山登りを予定していたのですが、天候の都合により、明日へ延期。午前中は、十勝岳火山砂防情報センターヘ。活火山の十勝岳は、ハイテクな機械で、いつ火山活動が始まっても対応できるようなシステムになっていました。中学生は、夏休みの自由研究にしようと、一生懸命調べていました。素晴らしい自由研究に仕上がったと思います。
 午後は、交流の家の敷地にあるグランドゴルフで個人戦をおこないました。特記すべきは、パー5のところをパー2(アルバトロス)でホールインさせた新井宇宙くん。みんなで大喝采でした。全体成績ではランクインできなかったものの、特別賞としで熊避けの鈴”がプレゼントされました。  朝晩の礼拝は北海道地区の牧師さんによって、毎日子どもと大人に分かれて礼拝がもたれました。「本当の自然とは」「どうして、神様は人間を羊に例えられたのか」「すべてに感謝する」などいろいろな題目で、お話を伺いました。普段、ゆっくり聖書のお話を聞く機会の少ない子ども達の心の中に、小さな小さな種が蒔かれたのを感じました。そして、もう1つ特記すべきことは、キャンプに参加した中学1年生の女の子が、秋に北浦三育でバプテスマを受けたことです。蒔かれた種は、いつか花を咲かせ、実を結ぶことと思います。そして、夜は昨日こ続きスイミング!こうして体力を使い切った子ども達は、また夢の中に入っていきました。     (以下次号)(CW)




SS・Select Shots・・・<10月の安息日学校から>

見事な合唱とハンドベル演奏、有難う!
10.20 北浦三育中学校生徒による特別讃美歌。思わず、「時問よ停まれ!」と言いたくなるような、楽の音に心洗われる、素敵な安息日でした。有難う!(音楽礼拝の説教者は校長の尾上史郎先生。)





11月のスケジュール

11/3(土)  [説] 長池 明夫牧師
        11 :00〜14:00 子ども野外礼拝
        役員会、長老会
  /3(土)〜10(上) 秋の祈祷週
  /10(土) [説] シンディ・トゥティ
         小羊クラブ
  /1フ(土) [説] 長池 明夫牧師
         理事会
  /17(土)〜18(日) 聖歌隊合宿
  /18(日) クッキングスクール
  /24(土) [説] 長池 明夫牧師
         小羊クラブ
  /26(月) 子どもバイブルクラス(英語学校)

               



ED園だより

 過日、老人検診のついでに大腸癌の検査も申し込んだ結果、引っかかって、総合病院で内視鏡検査をしなければならなくなった。癌はなかったけれど、大きなポリープが1個見つかり、ついでに他の小さなポリープ5個も切除することになって、10月下旬3日間の入院が決まった。検査に入る3日前から、食べ物の制限その他が言い渡され、当日は、約2時間かけて、液状の下剤を飲んで、トイレヘ行ったり来たり。これが加齢ということかと、つくづく思い知らされた事件でした。                            (T.S.)


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