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2007年7月 第248号                                   

 第3期・安息日学校 聖書研究・教課ガイド

           旧約聖書の夫婦から学ぶ
                      東京中央教会牧師 長池 明夫

 私たちが信仰している三位の神は愛によって一つに結ばれていて、相互に円満な交わりと深い充足とがおありになると言われています。ですから私たちの神は「愛の神」だと言われる所以(ゆえん)
がそこにあるのです。そして、その愛が溢れ、神の似姿に私たち人間は造られました。したがって、私たちは「神のかたち」を反映している者として、他の存在との交わりにおいては「愛」というものを追求していく者として造られているのです。つまり、私たちは独りで生きていくことはできないし、本来、神との交わりを軸にして人との愛のある交わりを深めていくことに喜びと幸福を感じるように造られているのです。ある考古学者がこのように言いました。「どの時代にも宗教の痕跡があるということは、人は神なくして生きていくことができないことを証し、また同じように共同体の痕跡が見られるのは、人は人間(じんかん)を通して初めて人間らしくなることができることを証しているのです。」 そして私も思うのです。「魚が陸の上で生きていくことができないように、人も水の中で生きていくことができない。すなわち、私たち人間は造られているようにしか生きていくことができないのだ」と。
 神によって創造されたアダムは、当初エヴァという伴侶が与えられ、愛の神との交わりを軸として、よき夫婦としての交わりを楽しみ、その喜びと心の充足の中に幸福を見出していました。ここから結婚制度が始まり、現在までに星の数ほどの夫婦がこの地上に誕生してきたのです。そして、この結婚制度は、神がいかに私たちを愛してくださっているかの例証でありました。つまり、夫婦というものは、この地上で最も親密な人格的関係であり、その営みの中に神の愛が身近で現実的であることをあらわしてくださったのです。しかし罪の結果、この夫婦にはある変化が生じてしまいました。それは、神との断絶から人間の性質にゆがみが生じ、相互に不信というものが入り込んで、交わりがギクシャクしたものになってしまったのです。つまり、創世記3章に記してあるように、罪の結果を背負う者となり、それでもなお地上の夫婦はイバラとアザミの中で、順境の日にも逆境の時にも、夫婦としてお互いを求め、また神を求め、営々と旅をしてきたのです。しかし、そのドラマの中に神は常に共にいてくださり、愛という恵みの中で成長させてくださいました。その証が聖書に描かれている夫婦の物語に織りなされています。
 今期の教課の学びは、旧約聖書に登場する何組かの夫婦を通して、夫婦とは、結婚とは何かについて学びます。「結婚」とは「夫婦」とは、本来最も人間を高めるものとして、神が祝福してくださったものであることを再考する時といたしましょう。かつてイザヤはこのように預言しました。「若者がおとめをめとるように、あなたを再建される方があなたをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる」(イザヤ62: 5新共同訳)






<バプテスマの証>
       全てに感謝です


                               鈴木 日出登 
 バプテスマを受ける前に母にこのことを報告しましたところ、60年前の思い出話になりました。私は、実家の前にあった「堀切中央教会」付属の黎明(れいめい)幼稚園の第1期生として入園したのですが、この教会は、かの宣教の先駆者、賀川豊彦先生の娘婿に当たる方が造られたのだそうです。まだ敗戦後まもなく物資が極度に不足している大変なときで、実家からも何かと援助をさせていただいたと聞き、やはり幼い頃に既にイエス様との出会いがあったのだと、感無量でした。
 このたびの受浸に際しては、その前日にも、また当日も、更にその後も、聖霊が何度も私に働くのを感じ、いろいろと不思議な現象を体験しました。とくに、キャンプ・ミーティングから帰京してのち1週間ほどは毎日のように、神の子として神様と契約できた喜びが心の底から湧いて体中を駆け巡り、一種の興奮状態が続きました,
 箱根の勉強会で学んだ聖句の数々は、私の人生への金言として、深々と心に刻み込まれました。とりわけ千先勉教区長が短冊に書いて下さった「絶えず祈りなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5章17節)は自分への戒め、励ましとして、祈りの場所にいつまでも掲げておきたいと思います。
 ヨブの次の言葉も、私は忘れずにいたい。「われわれは神から(さいわい)をうけるのだから、(わざわい)をも、うけるべきではないか。」(ヨブ記2章10節)今の日本は、現世利益を求める声がはびこっています,しかし私は、このヨブのごとく、祈りの結果がすぐに得られなくとも、神の為されること全てを信じ受け入れていきたいと思います。






 追悼・大森千歳さん
      神への熱い思い



                               山口 保夫
 奇跡のように、たびたび深刻な状態から立ち直られたので、5月下旬、知らせを受けた長池先生はむしろ、また回復なさるのではないか、ぜひそうあってほしいと、やや楽観的に考えてもおられたという。無理からぬことだと思われる。と言うのは、しばらく前まで私も、ひどいお苦しみの中で書かれたに違いないお便りを数通頂戴していて、どれも、重病の方のものとはとても思えぬ、力のこもった確りした筆跡で綴られていたのだ。病床での近況とともに、そこには常に、神への熱い思いが語られていた。
 千秀というペンネームで本紙の「ぽえむ」欄に短歌をご寄稿下さった縁で、礼拝に見える折、何度か親しくお話しする機会を得た。愛知県知多半島にある半田市で、衣料関係の有力な商店に生まれた大森さんは、長じて楢葉で学ばれたが、その後洋裁の才能を発揮して活躍なさる一方で、詩才にも恵まれていたため、歌謡曲の作詞も手がけられたという、「ヒット作も結構あります。印税も時々いただけますの」などと、思い出話をなさる時は、珍しく楽しそうな笑顔をお見せになった。が、しかし、いつも悲しそうに仰せになるのは、病気のために教会になかなか来られないのが残念でたまらないということであった。病を押してでも、たまに礼拝に出席する、そのことがどれほど慰めであり恵みであるかというお気持ちが、言葉のはしはしから、痛いほどほど伝わってきた。現実には叶わぬ日が多く、さぞもどかしく思われたことであろう。しかし、5月28日の告別式で、呼びかけるようにして母への思いを切々と語られたお嬢さんは、かつて宣教の道を選ばれた方である。大森さんの思いは見事に引き継がれていたと知り、私は熱いもので胸がいっぱいになった。
 大川のかなたの虹を仰ぎ祈る病の床のうたの心よ






原宿彩彩


●3人のバプテスマも…東京東地区キャンプ・ミーティングat箱根(5.25〜27)
 今回のテーマは「真理の御霊が来る時」。手先勉教区長と三育学院神学生によるコーテットをゲスに、原生林の只中で、恵まれた3日間を過ごすことができました。素晴らしい讃美と証、教区長による「聖霊」についてのセミナー、いずれも感動的な内容でした。特に「聖霊」というと、とかく終末に至る時間表の中で語られることが多いのですが、身近な教会生活の中で愛の御業を現して下さる「聖霊」についてのメッセージに、参加者たちが「目から鱗でした」と異口同音に感想を述べておられたのが印象的でした。
 ハイライトは安息日の午後に行われたバプテスマ式。3名の方々が、一同の見守る中、文字どおり聖霊と水による「新生」という恵みを体験なさいました。その一人が、当教会の鈴木日出登さん。夕べの集会で、その感動を涙しながら証しして下さいました。
 初日は天気が崩れましたが、翌日から尻上がりに持ち直し、富士山も駿河湾も箱根の自然も、その美景を覗かせてくれたことを付記いたします。                         (長池)

●タイで大喝采を浴びた今先生
 いささか旧聞ですが、4月24〜29日、タイのバンコク市で、「NSD ・ SSD*文書伝道講習会」が開かれ、会場のアンバサダー・ホテルには、アジア太平洋のディヴィジョンの26か国から1000人もの参加者が集いました。日本からも25名の文書伝道者が出席、様々なイベントの中で、永年勤読者の表形式が行われ、最年長の勤続「50」年を超えてなお現役の今 勝さんが、河辺昭七さん(新座教会)、高谷智志さん(天沼教会)とともに、記念バッジを贈られました。実はこのバッジ、十字架に「40」の文字をデザインした絵柄のもので、大会運営当局では、最長勤続年数を「40年以上」と想定して、「40」の文字をあしらって制作したのでした。ところが、お三方は勤続「50年以上」!それとわかって、会場は大騒ぎ、拍手歓声がなかなか止まなかったそうです。会は大いに盛り上がり、最後の全員大合唱「アメージング・グレース」は物凄い迫力だったとのことです。
*NSD=Northern ASian Pacific Division
 SSD=Southern ASian Pasific Division
                
●第3回全日本女性大会(6.8〜l0)
 教団女性部主催による上記、女性大会が神奈川県三浦海岸の地で開かれ、北は青森、南は沖縄から170名を超える信仰の友が結集した。テーマは「手をつなごう、キリストの体となるために」(ローマ12: 4〜6)である。主な内容は、すべて“女性による女性のためのプログラム”。礼拝、音楽演奏、証のほか、主な参加者がボランティア講師を務める11項目の素晴らしい分科会が行われた。マレーシアから来日されたDr.サリー・ラム・ゾーン(北アジア太平洋支部女性部・家庭部・児童伝道部長)が聖日説教をされ、またメッセージとして、全女性グループと小グループの伝道についてご説明があった。東海林教団理事長からもお言葉を頂いた。 10年余りの長きにわたり教団女性部発展のためにご尽力下さった北林信子先生はこのたびその職を辞され、新しく池増静子先生(小金井教会)がその職務を受け継がれた。大会は終始、神のお守りのうちに参加者各自それぞれの思いを持ちつつ、和やかに喜びをもって感謝のうちに無事終了した。  (樋口)

                    




ぽえむ     
   
何を得し今日ぞダリヤの色深し
山裾の雨にけぶらふ青葡萄
七月や火花散らして溶接機
誰よりもおこたりてゐて暑に負けぬ
寝莫薗(ねござ)して月明の野に()る如し
大戦舞ふや山の飯場の更くる()
                (満里子)





沖縄だより


 5月26日、修学旅行後に滞在を延ばして安息日礼拝のご奉仕をして下さった、沖縄三育中学校の女生徒からのお便りです。(6月号“SS SELECT SHOTS”参照。コーテット「ブルースカイ」による特別讃美歌“QuietTime”の力強い歌声が特に印象的でした)

【改めて、見えてきた東京】    鈴木 春佳
 東京に来たとき、私は「いつも来てるんだよねえ」みたいな感じでいました。でも修学旅行で東京を学んでみて、原宿という一部だけでなく、東京全体が少し分かったような気がしました。また、中央教会で特別讃美歌をしてみて、いつも行っている教会なのに違う感じに思えました。これが特別讃美歌をするということなんだなと改めて感じました。このような新しい学びがいろいろできて、本当に良かったです。ありがとうございました。

【初めての東京】          山内 貴恵
 私は、中三にして初めて東京に行きました。ものすごく大勢の人が歩いていて、ビルもすごく高くて、本当にびっくりしました。めずらしい物がいっぱいあって、とてもわくわくで、友達とはしゃいでいました。中央敦会では、まず最初に大きなパイプオルガンが目に入り、これもまた驚きで、「こんな所で特讃をするんだ〜」と緊張しました。でも、自分達的に出来たのでよかったです。あと、いい経験にもなって、成長できたと思います。本当にありがとうございました。

【久々の東京】            前堂 智子
 私は、前にも一度だけ東京に来たことがありました。でも、その時のことはあまり覚えていなくて、今回は「うわあ〜東京だあ〜!!」と、すごくわくわくしてました。初めての満員電車や、浅草のお祭を満喫してきました。中央教会へ行く途中、友達が迷子になり大変でしたが、なんとか教会に着くことができ、特別讃美歌をすることができました。とてもきれいな教会で、パイプオルガンもあってびっくりしました。東京に来ることができ、また中央教会で特別讃美歌をさせていただき、本当にありがとうございました。沖縄ではできない体験ができて、良かったです!

【初めての大特讃】         広田 恵子
 今回、特別讃美歌を歌わせていただき、ありがとうございました。最初、中央教会を見た時、「こんな大きな教会で、皆さんを喜ばせる讃美ができるかな」と少し心配だったのですが、歌っている間、とっても楽しく神様を讃美することができました。こんなに良い経験をさせてもらい、感謝です。ありがとうございました。






7月のスケジュール


7/7(土)   [説]Dr.チョング・チョイ
        (NSD地球科学研究所所長)
        特別集会(昼食後)
         役員会・長老会
 /14(土) [説]千先 勉牧師、バプテスマ
        小羊クラブ
 /15(日) クッキングスクール
 /21(土) [説]長池 明夫牧師、理事会
 /21(土)〜22(日) PFCオーバーナイトハイク
 /23(月)〜25(水) こども夏期聖書学校
 /23(月) 子どもバイブルクラス(英語学校)
 /27(土) [説]青年礼拝 証:深谷兄、馬場姉
        小羊クラブ






ED園(エデン)だより

 この季節はいろいろな花を楽しむことができます。少し前は、擲謁(つつじ)の花が咲いていて、その甘い香りを楽しむことができました。今の時期は紫陽花(あじさい)の花が咲きます。梅雨のさなかですが、擲謁は、じめじめとした空気を忘れさせてくれる花のように感じます。真夏を迎える頃には、向日葵(ひまわり)の花を見ることができるでしょう。それぞれの季節にフサワシイ花があることを嬉しく思います。美しい花々を通して季節を感じられることは、この国に生まれた特権であり、この上ない感謝です。                                                                                                
                                  (M.I.)

                                                                                                      


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