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2006年11月 第240号                                         
     
東京中央教会への郷愁と期待

                
             新名 忠臣                            
 
 何を隠そう、私は1962年9月8日(安息日)、自分の誕生日に東京中央教会でバプテスマを受けました、当時の主任牧師はジャック・セイガー宣教師でした。古い教会週報が保存されていれば、その記録があるかもしれません。私は三育学院神学科一年生でしたが、まだ洗礼は受けていませんでした。,セイガー先生は東京から学院に出張講義に来られ、「イエスの生涯」というクラスを担当されました。,私は同先生の教えによって改心への思いが強められましたので、わざわざ千葉の袖ケ浦から東京の原宿まで来て受浸したのでした。
 その頃の東京中央教会は、現在のラ・フォーレ原宿をも含む土地に、白亜の殿堂として人目を引き、非常に存在感のある建物を持っていました。もともと、ここには日本の教団本部があり、預言の声(現アドベンチスト・メディアセンター)事務所もあり、また東京衛生病院の診療所も併設されていました。こういうわけで、この原宿は日本伝道の中心地であったといえましょう。
 アメリカ人のセイガー先生は伝道戦線の第一線に立ち、本人の奥様の通訳で、自ら毎年のように秋から年末にかけて数カ月の伝道講演会の講師をしていました。ある年には、新進気鋭の柴田洸牧師を迎えて長期の伝道講演会を開きました。私はこの集会に出席したくて、はるばる三育学院から出て来ましたが、帰りの終列車に乗り遅れて千葉教会に泊めてもらったのも、
今となっては懐かしい思い出になっています。ともかく、それはどこの教会は伝道集会を魅力的に行い、まさに、大東京の伝道センターでありました。長期講演会中は、きまって三育学院の神学科や伝道科の学生が教会の別館に滞在して、伝道実習に励んでおりました 東京には全国から若者が集中するわけですが、その中には心の故郷を求める人々が必ずおり、彼らが講演会の大看板に誘われて教会に来たのです。こうした青年たちに学院の伝道実習生が対応しました。その結果、講演会の最後には多くの青年男女がバプテスマを受けたのです。その中から、後に牧師になった人々が何人もおります。
 さて、私は現在はからずも、在日外国人伝道の観点から東京中央教会と関係を待つようになりました。つまり、この教会には日本人集会の他に、英語部とスペイン語部があり、安息日にはそれぞれ独白の集会を開いています。ここには幸いにも、これまでスペイン語を母国語とし、また英語を語す選任の副牧師が与えられています。今後、日本の社会がますます高齢化・少子化の道を辿れば、労働力確保のために在日外国人が増加するはずです。そして東京は外国人が密集する大都市です。その意味で、この教会は昔とは別な形で、大東京の伝道センターとしての役割を期待されているといえましょう。東京中央教会で、日本人及び外国人を含めた包括的な伝道が推進されることを願って止みません。                                    
(教団PMM担当、国際伝道部、宗教自由部、スチュードシッブ部、トラストサービス部部長)
*新名先生の最新刊『地球家族と聖書のことば』発売中[編集部]
                                                                                                      






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