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2006年10月 第239号                                         
     
悔い改めよ、天国は近づいた

                
             藤森 大輔                            
 1年半のフィリピン生活、様々なことがありました。神学科に入るまでの“英語の勉強”だけで、リミットぎりぎりの半年間を費やしたこと。インフルエンザで入院し、クラスを落としそうになったこと。娘がシールを飲み込んで窒息死しそうになったこと、等々。それらを回顧するときに、神様のあわれみと愛にただただ感謝が溢れてきます。
 AIIAS*では伝道学修士の資格を取得(10月15日卒業)予定。聖書を適切に読む方法や、SDA教会の歴史と特殊教理といった理論だけでなく、牧会や伝道について実践を交えながら学ぶことができております。わたくしにとってとても大きな転換をみたのがこの分野です“教会の使命は伝道”などということはわかっています。「日本は伝道が難しい」 多分、そうでしょう。あるいは「伝道は気が進まない」という声も聞こえてきそうです。何を隠そう、私自身がそうでした。伝道は大事、でも難しい、だから気が進まない。しかし、フィリピンで勉強させていただき、また諸外国のSDAと交流する機会を与えられ、なぜ自分が伝道に積極的になれなかったかがわかったような気がいたします。
 使徒時代、伝道はどのように進展したでしょうか。最初、弟子たちは億劫でした。人前に出ることをためらっでいました。キリストの弟子だと証しできませんでした。しかし、自らの足りなさと弱さを告白し、主の前に悔い改めたことが彼らを造り変えました。そして、一同がありのままの自分を認め合えたとき、そこに愛と許しと受容が芽生えました。彼らの間に一致と祈りと分かち合いが生まれたとき、御霊がくだり、伝道が進められたのでありました。「伝道せよ!」と言われて奮起したのではありません。祈りと御言葉を共有し、ともに造り変えられるという実体験が伝道を推進させたのです。
 教会は、伝道の拠点であることは間違いありません。しかし、伝道の拠点には愛の交わりがあることを見落としてしまっているところに間違いがあります。教会は伝道活動をするためにあるのではなく、キリストの愛と許しと受容とを分かち合い主を礼拝し、造り上げられていくためにあるのです。その結果として伝道がなされていく。愛のないところに伝道は生まれません。一致の見られないところに聖霊は働くことができません。通り一遍に伝道活動をしたところで疲れるだけです。AIIASでは共同体として使徒時代のような祈りと分かち合い、礼拝がなされていました。「あなたもわたしも罪人。でも主はそんなわたしたちを愛し、召してくださる」。そういう言葉を交わすことができました。そこにはプライドや自我ではなく、主のあわれみと愛がありました。再臨を待ち望む声が聞こえていました。
 伝道の初めに、主は言われました。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4 :17)。伝道の原点として悔い改めが、動機として天国への憧憬が示されているのだと思います。キリストとのつながりと信徒同士の愛の交わり、そして再臨の待望が教会に真にみられるとき、天国へと歩むアドベンチストの使命が果たされていくはずです。東京中央教会も、大都市にあって天国を実現できる教会として存在しますように。
                          (元東京中央敦会副牧師)
*AIIASは、フィリビンの首都マニラから南に40Km余の所にあるSDA教育機関「Adventist lnternational lnstitute of Advanced Studies」です。世界各地40カ国以上から教授や学生が集まり、以下のような使命に基づき教育がなされています。「世界規模の教会と社会の必要を満たすことにおいて、有能な指導力と、疋直と尊敬と愛に基づいた奉仕によって福音宣教を効果的に遂行するために、ビジネス、教育、健康、神学の各分野において活力に満ちたSDA教育を施します」
(注)藤森先生は、11月1日付で天沼教会に赴任されます。[編集部]

 

                                                                                                      






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