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2006年4月 第233号                                         
 
  新たに造り変えてくださる神
          
-安息日学校聖書研究 教課ガイド-

         
           東京中央教会牧師 長池 明夫    
     
 今期の聖書研究は「聖霊」について学びます。キリストは天に戻られる時、弟子たちにこのようにおっしゃいました。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。」(ヨハネ14 : 16)つまりキリストがこの世での働きを終えられる時、弟子たちに約束なさったことは特別な「助け主」である「聖霊」の賜物でありました。そして聖書は、この「聖霊」の働きを通して初めて信仰に目覚め、また信仰を継続していくことができることを教えています。私たちは時として、「あの人は信仰が篤い」といったような言い方をします。あたかもその人の能力や努力が信仰を支えているかのように考えるのですが、実際には「聖霊」という神の働きによってそのことが支えられているのです。すなわち、キリストによってなされた教いのみわざは「聖霊」によって私たちのものとなり、さらに私たちの内に働いて下さり、その心と行いを清め、神が望む信仰者として成長していくことを助けて下さるのです。
 ただ「聖霊」というのは、その働きが分かりにくいとしばしば言われます。それはきっと、その働きが目に見えにくいということに由来しているのかもしれません。しかし、キリストは「聖霊」の働きについてこのようにおっしゃいました。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。」(ヨハネ3:8) 私たちは風の存在を疑いませんが風そのものを見ることはできません。しかし、木の葉が揺らいだり、肌を撫でる空気を感じて、「風」というものの存在を私たちは知るわけであります。キリストは「聖霊」の働きも同じであることを教えて下さっているのです。ですから目には見えないけれども、私たちの心の内に霊の風が吹き、神のみわざに対する目が開かれ、感謝の思いが起こり信仰が生じれば、それは聖霊の働きに他ならないのです。
 かつてある信徒さんが、このような証をして下さったことがありました。「ガン治療がなかなか進まず、生きる意欲が失われ、失意の只中にある時でした。前日から不安のため一睡もできず、明け方愛犬を伴って近所へ散歩に出かけたのです。ちょうど小高い丘に差しかかった時、どこからともなく一陣の霧のような風が自分の中を通過していったような気がしたら、鉛のように重い失意の気持ちが掃われて、そこに、キリストに全てを委ねようという思いが湧き起こってきました。そしてバプテスマを受ける決心ができたのです。」
 私たちは、「聖霊」の風に触れると心に新たな思いが湧き起こり、目が開かれ、神のみわざを受けとめることができるのです。そしてそのような「聖霊」のみわざは、私たちが神に目を向ける時、私たちの中にすでに働いており、ひいては私たちを新たに造り変えて下さるのです。その祝福と恵みを、今期の聖書研究を通して共に分かち合いましょう。             
                                                                                                      






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