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2005年12月 第229号
白 い 手 袋 東日本教区長 千先 勉 愛されている、との確信を持っている人は常に力強いし幸せです。まもなく還暦を迎えるのに、今でも自分を勇気づける幼い頃の思い出がよみがえる時があります。 クリスマスの日、母は30歳で人生を閉じました。少年の頃、どこか母のないことを 全ての人は母から生まれた以上、母から愛されているとの確信が不可欠なのではないでしょうか。この時季、白い手袋の子供がいると、母さんや家族から思いっきり愛されている人かしらと思ってしまうくらいなのです。 神がこの世に降られ人になられたのは、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハネ3 :16)からにほかなりません。神様から、罪の世界に身を置くほど愛されている。その事実を確認する時がクリスマスだと思います。だからこそ、ますます神から愛されているという事実を喜びをもって味わうクリスマスにしたいものです。私たちに持っておられる神の思いをもっと深めることができれば素晴らしいと思います。 クリスマスに限らず、あの十字架上のイエスの私たちに投げかけられた、ぶれず、逃げず、あくまで許し、 「神は、死よりも強い愛を持って、地上の子らに思いをかけておいでになります。神がひとり子をお与えになったということは、全天を注ぎ出して一つの賜物として与え賜うたということなのです」(E.G.ホワイト『キリストヘの道』20ページ) 連載・第12回 歴史のなかの讃美歌(6) 及川 律 宗教改革後の200年ほどの間に、音楽も大きな変化を遂げました。教会の外の音楽も、歌中心から楽器が主役になる曲が多く書かれ、歌と楽器のアンサンブルが発展しました。その集大成がオペラとオラトリオです。 バッハは敬虔なルター派の信徒でした。教会音楽家の家に育ち、ドイツ国内を転々としながら教会音楽を書き続けました。特にオルガン曲では、彼を超える作曲家は皆無です。質量ともに抜きん出た、偉大な存在です。 ルター以来たくさんのコラールが作られましたが、バッハはそのメロディーを用いてコラール前奏曲を書きました。礼拝の前奏でおなじみの彼の曲は、ほとんどが讃美歌のメロディーをもとに書いたものです。彼は、コラールの歌詞をとても大切にし、言葉の意味を音に変えて作品を書きました。時にはそれに関わる数字や図形をも音に込めて作曲しています。聴いているだけではわからないものですが、人間には聴き取れないものでも神様は理解して下さると、彼は考えていました。 バッハは作品を書くとき、神様に捧げるということを常に強く意識していました。多くの作品の原稿の最後には、直筆で「神にのみ栄光あれ」という言葉を残しています。一般に教会音楽ではないとされる曲も、彼にとっては神の栄光のために書いたものでした。約200曲残っているカンタータは、二週間に一曲のペースで8年かけて作曲しました。教会の暦に合わせて、毎週の日課の聖句を題材にしてコラールと器楽を組みわせ、合唱、独唱、オーケストラが多様な編成で演奏するものです。あの有名な「主よ人の望みの喜びよ」はその中の147番です。讃美歌174番の「起きよ夜は明けぬ」は讃美歌140番の待降節のカンタータです。 またクリスチャンにとって大変な財産である「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」は、聖書のキリストの受難の記述をもとにした傑作です。テノールの独唱が聖句を読み歌い、合唱が信仰者の告白をコラールとして歌い、他の独唱や合唱もそれに合わせてストーリーを展開していくという構成です。これほど信仰と音楽がひとつに調和した作品は他にないと思います。まだお聴きになったことがない方は、ぜひCDを手に入れるかコンサートに赴かれることを強くお勧めします。 |