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2005年10月 第227号


「エペソ人への手紙」…安息日学校・第4期聖書研究に寄せて

                    東京中央教会牧師 長池 明夫

 今期の聖書研究は、新約聖書から「エペソ人への手紙」(エフェソの信徒への手紙)を学びます。パウロが書いたとされるこの手紙は、ピリピ、コロサイ、ピレモンのそれぞれの手紙と並んで、「獄中の手紙」と呼ばれてきたものです。時は紀元61年から63年頃、パウロはすでに晩年を迎えており、ローマで捕われ、獄中で軟禁されていたようです。その獄中からエペソの教会員たちに宛てて書いたのがこの手紙であり、それをテキコが教会へと届けたのでありました。(エペソ6:21)
 当時エペソは、ローマ帝国下アジア州の首都であり、商業で栄えた一大港湾都市でありました。また、古代の世界七不思議の一つでもあったアルテミス神殿があり、ヘレニズムの宗教、すなわち偶像礼拝の中心地でもありました。また、かつてパウロは、特に3回目の伝道旅行の際、紀元53年頃から約3年間滞在して本腰を入れてキリストの福音を宣べ伝えたという経緯もあり、エペソの教会に対する思い入れと期待は、殊のほか強いものだったに違いありません。(使徒19:1〜41)
 この手紙は内容から言えば大きく二つに分かれるというのが、衆目の一致する見方です。 前半の部分では教会についての教理が述べられ、後半部では、クリスチャンの生き方の指針が、勧告として記されてあります。
 パウロは言うのです。「教会はキリストの体である」(エペソ1:23) すなわちキリストは、十字架の死から復活することを通して全宇宙の支配者となられた、それゆえキリストは、神の救いの計画を実現するために立てられた教会の頭であり、そのキリストによって、この建物は、多様であっても全体として一つに組み合わされて成長し、再臨の時に至るまでの神の救いの働きを具現化していくのです。
 さて、パウロはさらに言うのです。「愛のうちを歩きなさい」(エペソ5:2)もちろん、この愛とは、キリストの愛を知ることによって現された愛であり、教会が一致し成長していくために欠かすことのできない大切なパン種でもあります。このように、パウロは、キリストと教会の関係を述べながら、そのために「主にあって強くなりなさい」(エペソ6:10)と励まし、また更に、そのために必要な「神の武具を身につけなさい」と勧告しているのです。(エペソ6:13)
 今年最後の教課の学びを通して、キリストと私たちである教会との関係を見つめ直す絶好の機会としたいものです。
 「むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。」(エペソ5:18〜21)



敬愛する父、友なる先生 しばしのお別れ――鴨田先生の思い出――
  マイケル・ワルター(元東京中央教会副牧師、ドイツ、バーデン−ウュルテンブルク・カンファレンス副教区長)

 神様が鴨田先生にお休みを与えられたという知らせを受けたとき、私の心は深い悲しみに包まれ、神様に「なぜ…こんなに早く」という思いでいっぱいになりました。「神様、先生は本当に素晴らしいあなたの証人で、多くの人々を励まし続けた本当の牧者でいらっしゃいました。こんな時代だからこそ、私たちには鴨田先生のような方が必要なのではありませんか! 神様、早すぎます!」
 しかし、神様は間違われません。私たちはそのことを知っております。受け入れるしかありませんが、しかし理解はできません。いつの日か神様は、私や、鴨田先生をお慕いした多くの方々にご説明くださるのでしょうか。
 今、お一人残されたミセス鴨田のことを覚えます。お二人は本当にいつも寄り添っていらっしゃいました。年を経るごとにますます愛をはぐくまれ、私たちに素晴らしいお手本を示してくださったお二人でした。ミセス鴨田のお悲しみを、神様がその平安と希望で包み癒してくださいますように…。

・かけがえのない父にして、友 鴨田先生とは本当に多くの思い出があります。はじめてお目にかかったのは、1983(昭和58)年の原宿ででした。竹下通りを北に上ったところにSDAの職員住宅があって、原宿と荻窪のランゲージ・スクールの学生宣教師として来日した私は、先生のお宅の隣に住むことになりました。先生は、ご自分にドイツ人の血が流れていること…「ドイツ・フランスが四分の一、日本が二分の一」とお話しくださいました。ドイツ人のおじいさまのこと、いつかミセスとドイツに行こうと計画していらっしゃることなど、楽しくお話しなさいました。
 鴨田先生はいつも周りの人々のことを思っておられ、当時大勢いた学生宣教師は、そのようなおおらかで暖かい鴨田先生が大好きでした。とてもユーモアのセンスに富んだ方で、先生に出会った全ての人々から敬愛されました。もちろん、子供たちも先生が大好きでした。私の二人の娘たちも、「かもだのおじさんのおはなし」に夢中で、飽きることはありませんでした。
 私にとって鴨田先生は、たいせつな父であり友人でした。1988(昭和63)年、私が二度目に来日し牧師インターンとして東京中央教会に赴任したとき、先生が主任牧師でいらっしゃいました。未経験の私にとって、先生は全ての面でこの上ないお手本でした。牧師として何の経験もないばかりか、日本語もままならず、途方もない挑戦に思えたこの状況も、今思えば、全て神様のお導きであったのだと思います。あの鴨田先生のもとで基礎から教えを受けることができたのですから…。

・お説教のままに生きたお方 私は、インターンとして鴨田先生のなさる全てを、…どんな難問にでも対処なさるのを、間近に学ぶことができました。常に前向きの姿勢で、意見の対立する方にも心からの敬意をもって対されました。どんな会議においても、いつも謙遜でありながら確固とした信念で対処されました。教会内のどんな小さなこともおろそかにしない先生のなさりかたは、私の最高のお手本で、全ての面で先生のようになりたいというのが私の目標でした。
 それほどの方なのに、長い経験や深い知恵を誇示なさることはなく、私のような未熟な者に対しても、自分は新米なのだと感じさせるようなことは決してありませんでした。それどころか、どんな時にも対等の協労者として扱ってくださり、つねに私の可能性を最大限に発揮できるようにサポートしてくださいました。ですから、先生とご一緒のあいだは、経験の乏しいな者にありがちな失望や落胆を経験することは全くありませんでした。心から敬服いたします。鴨田先生は、そのお説教のままに生きられた方です。

・キリストに従うことの意味を教えていただいた 私にも家族にも、鴨田先生との楽しい思い出が沢山あります。ご一緒に祈り、働き、泣き、笑い…本当にキリストにある素晴らしい関係でした。ミセス鴨田とともに二回もドイツに来てくださって、ご一緒に観光に出かけたり、ドイツパンや名物のさくらんぼのケーキを楽しまれたり、また、親戚や友人たちとの交わりを楽しまれました。
 私たちが前回日本に戻ったのは、一昨年、2003年のことでした。そのころの先生はとてもお元気でした。またお会いすることができなくなるなんて、考えもしませんでした。先生のお宅に伺ったときには、大変な歓待を受けました。思い出のアルバムを見せてくださり、娘のハイディとエスターは先生にまとわりついていました。
 今、私は天の父神様に感謝します。鴨田先生を通して、キリストに従うことの本当の意味を教えていただき、全ての人々に対する愛の奉仕を学ばせていただきました。
 私たちが終わりの日まで信仰に堅く立って、神様が信ずる者に約束してくださった永遠の命の希望をしっかり掴んで放すことがないようにお祈りしましょう。主の日に、甦りの朝に死の縄目が永遠に解かれます! その日に、イエス様にお会いできるように祈り合い支え合ってそなえましょう。            (訳・横山絢子)



聖句と私 藤崎 恵子

 「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」(・コリ:3〜6)
 嬰児科での「暗唱聖句」が最初のはずなのですが、この聖句は幼稚園で覚えてきたもので、記憶に残っている一番初めに覚えた聖句です。「人は、自分のできる範囲のことは精一杯努力して、それ以降は神様にお任せしましょう」、そんな意味だと(勝手に)理解しています。
 神様にお任せするというのは実は難しいことなのだと、最近思うようになりました。頑張って頑張りすぎて“煮詰まってしまう”ことが時々あるのですが、そんなふうになるのは、神様にお任せできずに最後まで自分でやろうとした結果であることが多いようです。
 「お祈りする+実行する+お祈りする+結果を待つ=成功」…待つことが苦手な私には難しいことですが、「自分はやることはやった、あとは神様がして下さる」、その信仰をもって堂々としていられるようになりたいものです。



ママの育児日記 ウォーターズ今日子

 真希は1歳7か月になりました。今まで、ソファから1回、ベッドから4回落下。誤飲と間違え、救急車で病院へ。40度近い熱を1回。ウイルス性胃腸炎を1回。それぞれ守られて今日も元気です。普通に一日を過ごせることがどんなに尊いことか、1年7か月を過ぎて実感させられました。未熟な親でもスクスクと子供は成長してくれて、ちゃんと大きくなるように造って下さった神様に感謝です。最近では、教会の嬰児科クラスにも慣れてきて「アーメン」、「バイブル」と言葉を発するようになりました。親の行動もよく見ていて、すぐ真似をするので、言動に気をつけないとなりません。
 もう少し大きくなったら、一日中一緒にいることもなくなり、親から離れていく時が来ます。今は、一緒にいることができる時間を楽しみ、大切にしていきたいです。「子供は私たちが勝手に好きにできる所有物ではありません。めんどうを見、大事に育てるようにと天から授かった賜物です。子供は私たちのとても大事なお客様。わが家にやって来て、細やかな気配りを受け、しばらく滞在し、それからそれぞれに自分の道を行くために出て行くのです。」(ナーウェン)



「鴨田先生追悼特集号」を読んで

 本紙をお送りしている他教会の方から、次のようなお便りを頂戴しました。「いつも『はらじゅく』を送っていただき、有難うございます。臨時増刊号に書かれていましたが、鴨田先生が亡くなられたのですね。残念です。先生には、小学生の頃、聖書のお話をよく聞かせて頂きました。本当にお話が上手な方でした」 (50代、男性)



「誠にありがとうございました。おかげさまで元気です」 〜マギーさんからのお便り〜

(9月13日付、故鴨田先生の奥様から熊谷幸子さん宛てのお便りの一部をご紹介いたします。―編集部) 昨日はお心のこもったお便りと共に「はらじゅくニュース」特別増刊号をお送りいただき、誠にありがとうございました。皆々様の御心こもるなつかしいお言葉をひとつひとつかみしめながら、楽しく嬉しく何度も拝見させていただきました。「みなさんが、こんな言葉を書いて下さっていますよ。」と、主人に見せてあげたい気持になります。私も主人がまだ病院に入院しているような気がしてなりませんが、早や1ヵ月を迎えようとしております。わたしは、皆様の暖かいおはげましとお祈りに支えられて元気に過していますので、どうぞご安心下さいませ。



原宿彩彩

●こんにちは! 英語学校のレオナード・オペです。
 出身はパプア・ニューギニアです。来日したのは、2003年2月23日。中央教会に来る前は、2年半大阪のSDA英語学校におリました。こんなに長く日本に滞在するとは思っていなかったので、自分でも驚いています。しかしこれだけは確かです。神様が導かれ私たちが心から従う時、主がその道を整えて下さいます。教団から転任のお話があった時、実は、「東京以外ならどこにでも行きましょう」とお答えしました。それなのに…何ということか。今私は、できることなら避けたいと思っていたその東京にいるのです!
しかし私は神様を信じる者です。主が導かれたこの地に主が私に備えられた特別な使命があることを知っています。ホワイト夫人によれば「私たちの計画は必ずしも神のご計画と一致しない。神は、常に私たちにも神のためにも最善をごらんになるから、私たちの最善と思うものを敢えて退けられることがある…神のご計画の成就のために私たちの計画が崩されることも、往々にして起きる」(Ministry of Healing,p.473)
 家族のように私を迎え入れて下さる皆様に感謝します。これからご一緒にどんなにワクワクした充実した時間がもてることか、大きな期待をしています。主が示される時までいつまででも、主の導きに従ってここで全てを主に委ねます。皆様にも神様の大きな祝福を、とお祈りしております。

●「お若いなぁ!」
 「敬老の日」に先立って、第二安息日の9月10日午後、集会室で敬老祝賀会が催されました。ゲストは総勢22人。信仰の大先輩のお元気なお顔が打ち揃い、司会の園田長老の「どなたもお若いなあ」という、実感のこもった感嘆の声に、多くの人が笑顔でうなずいておりました。祝福の時が過ごせましたことを感謝いたします。お食事の準備をはじめいろいろとご配慮くださった女執事の皆様、ありがとうございます。
 なお、教会最高齢者、伊藤冬子さん(100歳)は、ご自分で歩くことはできませんが、お元気に過ごしておいでです。帯状疱疹のほうは、「まだ痛みはありますが、元気です。神様から、毎日お恵みをいただいて感謝です」と、張りのあるお声が返ってきました。 またこの日、英語学校の新任教師レオナード・オペ先生もお招きし、その歓迎会も併せて行いました。弥永長老の歓迎の辞に、ユーモアたっぷりのご挨拶・自己紹介をされました。(ご挨拶文別掲)
(牧師室)

●第12回 家庭会セミナーのご案内
・演題  「血液不思議大発見」
・日時  2005年10月15日(土) 14時〜15時
・場所  東京中央教会 集会室
・講師  金子盾三先生(東京衛生病院副院長)
☆血迷う、血も凍る、血湧き肉躍る…こんなとき、血液は、一体どうなっているのでしょうか。なぜストレスが溜まると、血圧が上がってくるのでしょう。 誕生から死までの人の一生とともに体中を巡り続ける血液の不思議を、血液学の大家、Dr.金子が解き明かします。
    BORN  生まれ
    LIVE  生きて
    LOVE  愛して
    LOSE  失い
    DEAD  死んだ

●TICの皆さん、バプテスマおめでとうございます
 8月第二安息日の13日、静岡県藤枝の大久保キャンプ場で、ウーゴ・アロー先生の司式により、次の3人の方々が受浸されました。(カッコ内は出身国) ルイス・アロア(メキシコ/プエルト・リコ)、アレックス・ダックルース(ブラジル)、ロサリオ・ササキ(ペルー)
 また、第四安息日の27日には、東京中央教会で、新名忠臣先生の司式により、ネル・ブイサンさん(フィリピン)のバプテスマ式が、大勢の日本人教会員・TICメンバーが見守るなか、祝福のうちに執り行われました。おめでとうございます。




 翔つ鳥の声透きとほる水の秋
 川波に日の照りにぶし下り簗
 岩風呂に我解き放つ夜半の秋
                (満里子)
 秋近し 樹々の彩にて 感じつゝ
    涼風を待つ 夕暮れのとき
 秋来れば 七草の薫り 漂いて
    教え子の愛 心に沁みる
 虫の声 季節を報らす 歌となり
    情緒豊かな 音色奏でる
                (千秀)

 追想・鴨田先生(二〇〇〇・七・八 50周年記念式典)

 ほほえみて恩師のすがた追いながめ
     目うるませるおみなごのあり
  初握手「ああ、『はらじゅく』の?」と仰せあり
     剽げて「わたし愛読者です」
 我が名をば記憶にとどめおかれしか
     あたたかきもの胸に満ちくる
 晴朗の笑みのひとみよまなざしよ
     ただひとたびの出会いなつかし
                (保夫)



連載・第11回 歴史のなかの讃美歌(4)

12〜16世紀
                          及川 律

 パリのノートルダムでポリフォニー(複旋律)が使われるようになってから、教会音楽は飛躍的な発展をしました。作曲技法も演奏技術も格段に進歩し、あっという間に複雑な構成の大曲が書かれるようになりました。なかでも、デュファイやオケゲム、ジョスカンといった作曲家が脚光をあびるようになりました。彼らの作品は、現代人にも「天上の音楽」と評され、好まれています。あの宗教改革者ルターもデュファイの音楽を大変好み、「至上の音楽」と考えていたと伝えられています。しかし、その陰で会衆の讃美が少なくなっていってしまったことを忘れてはいけません。大きな教会で上手な聖歌隊が毎週そのような美しい讃美を聞かせてくれるのなら、自分で歌うより聞いていた方がよいと思うようになっても当然かもしれません。教会の形式主義が中世ルネッサンスの教会音楽を堕落させたという表現がよくされていますが、実際は民衆もそれを支持し、むしろそういった傾向を楽しんでいたと思われます。
 今、ルネッサンスのポリフォニーを聴くと、古くさいカトリックのイメージを持つかもしれませんが、当時の人々にとっては、最新の流行音楽であったことは間違いありませんし、多くの人が毎週そのような新しい曲を聴くのを楽しみにして教会に通っていたのです。 このような音楽は宗教改革が始まったあとも、百年ほどの間ヨーロッパで強い勢力を保っていました。ローマ・カトリックでは、パレストリーナやヴィクトリア、イギリスでは、バード、タリス、ギボンズなどが活躍し、ルネッサンス・ポリフォニーの頂点を極めました。
 興味深いのは、教会が必死に彼らをコントロールし音楽のスタイルを簡素化しようとしたことです。1562年のトレント公会議では、実際に彼らに正しい音楽の手本を作曲させて、華美に過ぎないように警告を出しました。イギリスでも、各パートがタイミングを揃えて歌詞を歌うように作曲することを指導したりしました。それでもなかなか音楽を根本から変えることはできなかったようです。音の美しさからいけば、他のどの時代の音楽にもまさって天国を表している音楽であることはだれもが認めるところでしょう。
 残念ながら、現在この種の曲は、讃美歌としてはほどんど用いられていません。むしろ合唱のレパートリーとして盛んにコンサートホールで演奏されています。そういった意味では、教会の外で一般の人に天の雰囲気を味わう機会を提供しているのかもしれません。
 さて、このあと歴史は全く違う方向に讃美歌を導いて行きます。次回は、宗教改革によって、讃美歌がどう変わっていったかを見てみたいと思います。



ED園だより

 今年もエンゼルストランペットが咲き始めた。「天使のラッパ」とは、何て素敵な名前をつけてもらった花なんだろう。暑い盛りに咲き誇っていた、お向かいの家のノウゼンカズラも、そろそろ終わりに近づいてきた。ついこの間まで日中は温度が30度を超え、熱帯夜が続いて寝苦しかったのに、今は湿気の低い、さらっとした気持ちのよい日が続いて、やっと元気が出てきた。暑さで体調を崩していた方々も元気を取り戻されるよう祈りたい。 (S.T.)


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