教会の紹介 集会案内 健 康 原宿ニュース お葬式 英語学校
TIC 公文教室 関連リンク クリスマス TOP
バックナンバー




    

2005年9月 第225号                                         
 
       感謝と喜び
        
         
           東京中央教会長老 三宅 光子    
     
 太平洋戦争が終わって六十年。思えば当時私たちの教会は、戦時中のキリスト教弾圧と牧師先生方の投獄などで、閉鎖された状態にありました。終戦のときを、私は、両親や弟と、門司(北九州|市)で迎え、家は空襲で失いましたが、家族が生きていることは、本当に感謝でした。
 間もなく、米軍が進駐してきた頃、SDAの二人の兵隊さんが、安息日に教会を探し尋ねて、我が家を訪れました。まだ畳も入っていない粗末な住まいに上がっていただき、片言ながら、何故か互いに話がよく通じ、理解し合えた気がしました。ともに神様のことをおぼえ、祈り、賛美したとき、それは長らく持ちえなかった教会の集いであったからでしょう。また、母は、戦争前に米国に留学していた兄との音信が途絶えていましたので、これからは消息が分かるのではないかと喜んでおりました。
 この兵隊さんたちが帰国後、大きな荷物が届きました。開いてみると、驚いたことに、清潔な石鹸の香りがして、アイロンのかかった衣類、それも明るい色合いの洋服がたくさん入っておりました。米国のSDAのドルカス会(福祉会の名称)の婦人たちが、日本では衣類をはじめ物資が不足していると聞いて、恐らく大急ぎで服を集め、きれいに整えて送って下さったのでした。
 後年、私は東京中央教会でバザーの準備に参加するたびに、あの戦後の貧しい時代に、米国の兄弟姉妹から送られた救援物資に、どれほど日本の多くの方が助けられ、励まされたか、感謝の思いを新たにするのです。
 さて、今年も教会バザーの季節となりました。今、この日を待ちわびているご常連や、どなたかに誘われていらっしやる方もおいででしょう。また当日は、偶然通りかかって立ち寄り据り出し物を発見して喜ぶ若者や、あるいは美味しいケーキを味わって満足なさる方、初めて訪れた教会を観察して帰られる方など、さまざまだと思いますが、こうしてバザーを通じて、人と人との新しい交わりが生まれ、教会を知っていただくよい機会ともなります。
 大勢の方のご好意によって寄せられた品々は、その収益が福祉のために使われ、バザーが終わった後では、一部は老人ホームで、また一部は久慈川教会のバザーに活かされております。そして、年末に山谷でもプレゼントと併せて使われます。
 この機会を通して、神様の祝福のときが与えられることを析っております。





連載第9回・歴史のなかの讃美歌(3)

                     及川 律

 中世の讃美歌の発展には二つの中心がありました。もちろんローマ教会の礼拝形式がその一つですが、もう一つは、修道院でした。修道院では、教会とまた違った礼拝が毎日なされ、聖書朗読、祈りと労働の生活をしていました。とくにベネディクト修道会はチャントを多用し、一日8回の祈りの時間に必ずチャントの節に合わせて詩篇を歌い、新約聖書を歌い、祈りを捧げていました。
 修道院で発展したチャントはほとんどすべてが詩篇を基礎にしたものでした。詩篇150篇すべてを一週間で歌い抜き、さらに新約や旧約の聖句や祈りの言葉をすべてチャントで歌っていました。おそらく当時の修道憎たちは、詩篇を完全に暗唱していたと思われます。これも讃美歌にして歌っていたからこそでしょう。そうした歌によって彼らの信仰が支えられていたとすれば、まさに讃美歌の底力を思わずにはいられません。
 やがて一方,教会の方では、音楽的に飛躍的な発展が見られるようになります。11世紀初めに、パリのノートルダム大聖堂の聖歌隊の指揮者たちが、単旋律ではなく復旋律を用いるようになりました。これがポリフォニーの始まりです。実はそれ以前にも、一般的にはオルガヌムと呼ばれる方法で、違う音程でメロディーを重ねて歌う方法がよく使われていました。またドローンと呼ばれる低音で同じ音をずっと鳴らし続け、その上でメロディーが流れていくという技法もありました。
 しかし、伝統的に和音を避けていた教会は、なかなかそういった技法を採り入れようとしませんでした。しかし、このパリでの進展をきっかけに、ポリフォニーが爆発的にポピュラーになります。どう考えても、単旋律よりハーモニーがあったほうが楽しいですから。 
 しかし、教会は厳しい規則を設け、ポリフォニーの使い方を制限します。一例として、古代から、ドの音とファのシャープの音を同時に鳴らすと悪魔の響きになると言われてきました。この二つの音程の関係を増4度といいますが、これは教会でも固く禁じられていました。機械的にオルガヌムとドローンを使ってチャントを歌うと、どこかでこの増4度の音の関係が生じてしまうので、それをどうやって避けるかというのが、とても大事な技術的課題でした。その他にもいろいろな決めごとが作られました。迷信的、ときには病的と思われるくらい細部にまでこだわったのが、中世の教会音楽と礼拝形式の特徴の一つとも言えるかもしれません。よく研究するとそれなりのちゃんとした理由はあるのですが…。
 さて、この時期を出発点としてバッハが死ぬまでの約700年余りが教会音楽の最盛期といえるかもしれません。次回は、この中世からルネッサンスのポリフォニーの時期に作られた讃美歌を見てみたいと思います。
                                                                                                      






戻る