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2005年8月 第224号                                         
 
“アフリカ・パワー”を実感
      
第58回世界総会に出席して     
         
           東京中央教会長老 弥永 真生    
     
 6月28日から7月9日まで、アメリカの中央西北部、セントルイスにおいて、第58回世界総会が開かれ、図らずも、これに出席する機会が与えられました。
 会場は、コンベンション‥センターのドーム(シーズンにはアメリカン・フットボールの会場に使われている)で、いつも、強烈な冷房がきいていて(おかげでちょっと風邪気味になった)、アメリカが、エネルギー消費大国で、京都議定書に参加したがらないということにも合点がいきました。セントルイスはややさびれた街で(近くのショッピングモールもほとんどの店が閉店してしまっていた)、この総会がセントルイスに与える経済効果は、今年一番のものだと新聞やテレビでは報じられていました。名所は、アーチとブッシュ・スタジアム(カージナルスの本拠地)で、会場のすぐそばでしたが、野球観戦に行く暇はありませんでした(しかし、ゲストで行った2人の先生方は行かれたようです)。もっとも、期間の後半になるとビジネス・ミーティングの出席者は激減したので、少なからぬ代議員は、どこかに出かけていたようです(日本からの某先生も一時雲隠れしていた)。
 次回から、代議員の数は増加させるということでしたが、今回は2,000人が参加し、日本の属する北アジア太平洋支部からは代議員が一番少ない(つまり、教会員数が一番少ない)という結果になりました。これに対して、アフリカおよび南アメリカの信徒数の増加は著しく、旧ソ連諸国が含まれる支部での伝道の進展にも目を見張らされるものがありました。そのせいでしょうか、今回の総会では、ガーナ出身の総務局長(セクレタリー)が再選されたほか、9人の副総理のうちアフリカ出身が2人(内1人は女性一歴史上初めての女性の副総理)となり、アフリカ・パワーを感じさせられました。
 なお、この5年間で約500万人のバプテスマがあり、世界のアドベンチスト人口は1,400万人になったということで、10年で倍増したことになります。もっとも、この5年間に教会から離れた方々も130万人ということで、安穏とはしてはいられませんし、今回の総会では、田舎にのみ強い教会から脱却して都市伝道に力を入れなければならないということが強調されていました。
 ブースがたくさん出て(中でも、アンドリュース大学、ロマリンダ大学、AWRおよびADRAのブースは大きかった)、多くの本なども売られていて、すっかり、お上りさん気分ですごした2週間でした。なお、音楽プログラムが充実していて、1970年当時のキングス・ヘラルドと現在のキングス・ヘラルドとの特別讃美歌もあり、広島三育の天野裕司先生などは興奮しておられました。





連載・第8回 歴史のなかの讃美歌(2)


                   及川 律

 長いことグレゴリオ聖歌は、教皇グレゴリウス1世(590−604在位)によって編纂されたと考えられていましたが、実際には800年頃にグレゴリウス2世(714−731在位)にちなんで作られたというのが現在の定説です。この頃までには、各地方の教会はローマ教会のラテン語の礼拝形式を採り入れるようになり、一部の地方を除いてみな同じ形式で礼拝するようになっていました。その礼拝の中で用いるために編纂されたのがこのグレゴリオ聖歌です。とはいっても、現在の讃美歌のように一冊になっていたわけではなく、それぞれの曲が別々に出版され、各教会で保存され使用されていました。まだ印刷機が発明されていませんでしたので、手書きの楽譜でした。
 記語法は、この頃までに大体の基礎が出来上がっていました。ネウマと呼ばれる、現在の音符の原型ともいうべき方法を用い、五線ではなく四線の上に音符を並べていました。
 やがて1880年頃、フランスのベネディクト修道院の一つであるSolesmesが、このグレゴリオ聖歌のバラバラの楽譜を印刷し、出版するようになりました。その集大成がLiber Usualis という分厚いー冊の讃美歌集で、第ニバチカン公会議で母国語のミサが許可されるまで、世界中のカトリック教会で用いられていました, 新約聖書に、Hymns、Psalms,Canticles(讃美歌、詩篇、霊の歌)という表現があることから、中世の教会は、礼拝の中でこの三種類の歌を区別して使っていました。礼拝のそれぞれの場所で詩篇や新約聖書の聖句そのままを歌い、祈りの言葉や式文も、チャントのメロディーにのせて歌っていたのです。
 当時、神様のみ言葉は、人間が日常の会話で話すように読んでしまっては神様に失礼であるから、司祭が会衆に聞こえないように小さな声で読むか、歌にして歌うかのどちらかにするべきだという考えがあり、大事な聖句は、節をつけて聖歌隊が歌っていました。祈りも同様にしていました。それだけ音楽が神聖なものとして扱われていたという証拠です。
 教会だけでなく、西洋音楽の歴史の中で、このグレゴリオ聖歌はたいへん重要です。記譜法の原点でもあり、その後の和声、旋律、作曲法の基礎となりました。この讃美歌集から西洋音楽が生まれてきたと言っても過言ではありません。
 ただし、当時ローマだけがこのような音楽を作っていたわけではありませんでした。地中海を囲むいろいろな地方で、独自の礼拝形式とチャントを伝統としているところがありました,ミラノはその代表で、司教であった有名なアンブロシウスのもとで、ローマとはひと昧違った礼拝を行っていました。その中から数曲が今でも讃美歌として使われています(例えば、讃美歌21、212香がそれです)。
                                                                                                      






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