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2005年5月 第221号                                         
 
 「平和を創る」道
 
         
東京中央教会牧師インターン 渡久山 律子    
     
 誠にのどかな春のよい季節となりましたが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。このたび三育学院カレッジ神学科を卒業し、4月1日より牧師インターンとして配属されました。一昨年の牧会実習でも6週間お世話になりましたので、皆様と再会できたことを大変うれしく思っておりますのと同時に、実習中は、暖かいお交わりとお祈りで支えていただき、そのお陰で着任できましたものと感謝申し上げております。学生であった時と異なり、このたびは曲がりなりにも牧師インターンという立場です。甘えることなく、皆様からお教えをいただきながら、至らない者ではございますが、主のご用のために用いられる者でありたいと願っております。これからもご指導御鞭撻のほど、お願い申し上げます。
 名前からお気づきの方もおいでかと存じますが、私は沖縄(那覇市)出身です。小学校時代は、戦争に関する教育が盛んでした。子ども心に「戦争はぜったいにしちゃいけないんだ」という思いを強くしたことを、覚えています。また、私の世代は、両親を含めた親族が皆戦争経験者でした。その影響もあったのだと思います。父は、新垣三郎先生と同じサイパン島に一家で移住し、そこで生まれました。戦火の中、かろうじて生き延びて沖縄へ帰ってきた人々の一人でした。母の一家は大分へ疎開し、両親とも戦争で兄弟姉妹を亡くしているため、両親を含めて親族から直接当時の話を詳しく聞く機会はありませんでした。当事者にとっては、それほど生々しい、辛い記憶なのでしょう。
 しかし、育てる親も、教える側も、すでに戦争を知らない世代になってしまい、教育は様変わりしたようです。姪と話をしていても、「戦争」という言葉のリアリティは私たちの世代ほどはっきりしたものではないようです。こう書きながら、果たして私自身も、子どもの頃に持っていた戦争に対するあのリアリティを今持っているだろうかと自問しています。頭では分かっているつもりですが、はっきりと目に出して、行動することができるかどうかは覚東ない感じです。確かに日本国内においては、幸いにも戦乱の状況は存在しません。しかし、世界のどこかで戦闘が今も行われており、そのために多くの一般市民が、そして子どもたちが犠牲になっています。いわゆる「国民保護法」の成立や憲法改正の問題など、この国がどこへ向かっているのかを冷静に見つめる必要を感じています。「その時」が来てからではなく、私たちがご再臨に備えているように、子どもたちをそして教会を守るために何かできるのか何をなすべきなのかを、少しずつではありますが考えていければと思っています。「マタイによる福音書」5章9節にあるように、一人一人が、そして教会が各々の場にあって「平和を創り出す」存在となれればと願ってやみません。






連載・第5回  聖書のなかの讃美歌(2)

 ルカによる福音書の三つの讃美歌

                       及川 律

 ルカによる福音書には、三つの有名な讃美歌が含まれています。それぞれイエスの母マリヤ、バプテスマのヨハネの父ザカリヤ、そしてシメオンによって歌われます。実際にこの3人が(ふし)をつけて歌ったかどうかはわかりませんが、ルカによる福音書を書いた著者は、詩として記しています。まず、マリヤの歌ですが、これはマニフィカトとも呼ばれており、バッハをはじめとして、多数の作曲家たちが好んでこの歌詞を歌にしています。内容は、神の約束を感謝するマリヤの讃美ですが、サムエルの母ハンナの歌(サムエル記上2章)やいくつかの詩篇(116篇等)に酷似しています。ザカリヤの敬礼やはり内容が詩篇などと似ていることから、すでに当時ポピュラーだった詩か歌をもとにして書かれたとも考えられています。もう一つのシメオンの歌は、これもまた、Nunc Dimittisとして、宗敦音楽のなかでよく知られています。これも多くの作曲家が用いています。
 この3曲は、中世の頃から夕礼拝に使われるようになり、特にマリヤの歌(Magnificat)とシメオンの歌(Nunc Dimittis)は、現在でも聖公会の晩祷(EVENSONG)において歌われています。私たちのようなプロテスタントの教会でも、NuncDimittisは、礼拝の最後のレスポンスなどに使われることがよくあります。マニフィカトもクリスマスによく歌われています。
 ザカリヤの歌は、他の二つに比べるとポピュラーではありませんが、それでも歴史的にみると、多くの詩篇歌集の終わりのほうに、十戒、マニフィカトなどと同様に加えられていることが多くあります。福音記者がどのような意図でこの三つの歌を入れたのかは定かではありませんが、少なくとも紀元50年ごろの初代教会では、いろいろな歌をキリストの生涯を思い出しながら歌っていたことは確かでしょう。コロサイ人への手紙3章16節の「霊の歌」も、このような歌をさしていたのかもしれません。いずれにしても、新約聖書に出てくる讃美歌が、旧約からユダヤ入に代々伝わってきていた詩篇やその他の歌からの影響を強く受けていることは、この三つの歌をみてもよくわかります。 
                                                                                                      






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