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2004年9月 第213号                                         
    「敬老の日」を前にして
        
           東京中央教会第一長老 渡部 正廣    
     
 一か月半ほど前のことでした。それは教会の帰り、家内と家に向かって電車に乗っていた時のことでした。吊革(つりかわ)につかまって、ぼんやり外の景色を眺めておりました。
 すると、後ろから私の肩をぽんぽんと叩く人がいました。振り返ると、五十歳くらいの見知らぬ男性が笑顔で「どうぞ」と言って、今まで座っていた席を私に譲って下さったのです。席を譲られるようなことは今までに一度も無く、そんなに年老いているように見られたのかな、と内心ぎくりとしましたが、素直に「ありがとうございます。」とお礼を述べ、病弱な家内に「あなた座らせていただきなさい。」と勧め、家内を座らせていただきました。すると、家内の席から四つほど離れた所に座っていた男性が「こちらにどうぞ。」と私に声をかけて下さり、私に席を譲って下さったのです。大変恐縮いたしましたが、御親切を感謝して座らせていただきました。私と家内はよその方を三人ほど間にはさんで、両側に座らせていただいたのです。するとその時、家内の隣の席の男性が立ち上がり、 私の方を向いて「席を代わりましょう」と言って、私を家内の隣に座らせて下さったのです。
 このような連続した御親切をいただきまして、まるで夢の中の出来事のような気持ちでした。あとのお二人も五十歳台のようにお見受けしました。年長者を労る、やさしい心根に頭が下がりました。
 私は幾つになっても若いつもりでおりますが、身体の方は正直で、体力の衰えが外に表れて、このたびのように三人の方々の御報切にあずかったのかなと思ってもみました。
 確かに私達の年代では、年を重ねることが体力の衰え、減少につながることは否定できないことでしょう。
 しかし私達は神様に守られ、支えられているクリスチャンです。たとえ肉体は衰えても心は、信仰は、年齢に関係なく常に若々しくありたいと願っております。
 イザヤ書40章31節に「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぽることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」とあります。
 主の御再臨を待ち望んでいる私達クリスチャンがわしに例えられているのです。天に向かってはばたくわしの姿が、神様の力を受けて歩む信仰者の例えとして用いられているのです。永遠の命の賜物にあずからせていただいている私達です。たとえ体力的な衰えがあったとしても、天国を仰ぎ望み、信じて神様の御力をお受けしつつ、心若やぎ、喜んで日々の歩みを続けさせていただきたいと願うものであります。
                                                                                                      






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