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2004年8月 第212号                                         
 After Two Years(2年後)
   SDAマウンテンヴュー教会牧師(前TIC牧師) マーク・デュアート
    
     
 「光陰矢の如し」という諺はやはり本当ですね。お別れしてからもう2年以上にもなるのに、数週間しか経っていないかのようです。ここカリフォルニアで、楽しくそして慌ただしく過ごしております。
 マークJr.はPUC(パシフィック・ユニオン・カレッジ)の第1学年度を終え、この夏は化学を学んでいます。ジョゼフは11年生(日本の高2に当たります)、フィリップは9年生(同中3)、末っ子のティモシーは1年生。どの子も、就学環境や言葉が変わっても、うまく馴染んで暮らしているようです。次男ジョゼフは、学校のバンドや合唱団や自治会でバリバリ活躍中。三男フィリップは勉強がとても良くでき、副学級委員です。ヴァイオリン演奏の勉強を今も続けており、難度の高いクラシック曲をいくつか弾けるようになりました。四男ティモシーは、英語の学校と日本語のと、二つの学校に通ってます。いつも笑顔のオチビ君です。
 朱見は、牧師夫人として相変わらず忙しくしています。幾つものバイブルクラスで教えているほか、日本語グループの安息日学校校長を務め、副牧師さながらの日々。マウンテンヴュー日本人教会では、通常の伝道のご奉仕のほかに、幼稚園から始まって9学年にわたる初等学校を運営しておりまして、今、380人の生徒が在籍しています。朱見はここで金曜日に授業を受け持ち、私は運営委員の一人でして、水曜日に聖書と英語を教えています。「聖書を通しての英語」というこの授業は、日本人生徒のために開講したものです。
 離日して以来、私たちは様々なスタイルの福音伝道に携わってきました。 2003年には、短期間だったものの、連続講演会を、イングランドのマンチェスターで、また日本で二度行い、さらに今年も一度日本で開いて、それぞれ説教をさせていただきました。またこの2月には、3人の教会員をルーマニアに送りました。この国で、3週間にわたって私たちの企画した福音伝道連続講演会を開催したからです。
 この大規模な集会は、ロバート・フォーケンバーグ前世界総理の主導されるグローバル・ミッションの一環として、ルーマニア全土の実に116会場で開かれ、私たちはその一翼を担ったのです。この3人の教会員はだれも、それまでこうした活動には全く関わったことかありませんでした。しかし私たちは神の大いなる祝福に与りました。このキャンペーンの終わりに大勢の人がバプテスマを受けたのです。その後も、講演会に出席した人たちの多くが聖書研究を続けており、その中からさらに数人が受浸しました。
 ルーマニアヘ私に同行した教会員たちは、今や伝道に燃えています。この10月には、当教会で私たちは伝道講演会を持つ予定です。どうぞご加祷ください。2005年には、さらに2回の福音伝道キャンペーンを行うべく、ヴォランティア・グループを二つ組織するつもりです。来年1月には、キューバヘ、また11月には再びルーマニアヘ行く計画もあります。
 私たちは、日本と、日本の家族と友人たちが恋しくありませんかと、よく聞かれます。日本は、私たちにとってふるさとです。生活の大部分を日本で過ごしました。心の大部分はこの故国日本に残しております。しかし、いつか帰ることを望むにしても、計画するにしても、私たちの未来は、神のご意志にいつも委ねたいと思っています。神のご意志が、再び日本に住み日本で奉仕せよということであれば、喜んでそうさせていただきます。世界にはまだ、神の救いの恵みに耳を傾ける必要のある人々が何他人もいます。神が私たちをどこに導かれようとも、私たちはその恵みの運び手になりたいと、それのみを願っています。
  「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである。また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(ヨハネ15 : 16)というイエス様の御言葉を、だれもが覚えたいものです。再びおいでになるそのときまで、どこにお導きくださろうとも、イエス様のために実り多い者となるように心を決めましょう。神が全ての皆様と共にありますように。



ありがとうございました カリーン・ウィリアムズ

 こんなに2年があっという間に過ぎるなんて誰が知っていたでしょう。でも霊的にも精神的にもすばらしい経験ができました。ここに来たのがつい昨日のように思われます。多くのことが違っていて、うまくやっていけるか心配でした。でも神様が共にいて下されば、何も悩む必要はないのです。私が到着した瞬間、全てのことがうまくぴったりはまりました。生徒さんたち、教会の人たち、道で出会った人たちみんなから歓迎して頂きました。神様がここに私を連れて来て下さったことを本当に感謝しています。私はよく、神様が与えて下さった機会を生かして、神様のメッセージを人に伝えているだろうかと自問していました。5つのパンと2匹の魚を持った小さな男の子のお話を思い出します。神様は少ないものを用いて群衆を養って下さいました。私たちには小さい事しかできなくても、神様はそれを用いて沢山の人を祝福して下さいます。
 お別れする時がきましたが、お一人お一人にご挨拶することができなくて残念です。皆さんの存在は、私を教会の家族の一員として抱擁して下さっているように感じていました。皆さんとの思い出、生徒さんとの思い出、日本での思い出が沢山できました。それはきっと、私の生涯の思い出になるでしょう。神様が引き続き祝福して下さって、皆さんの周りの方達と素晴らしい再臨の福音を分かち合うことができますように。(訳:府録智子)



聖句と私 遠藤 哲也

 今年第2期の教課では、イザヤ書を学びました。イスラエルの神、主に信頼しユダのすべての王のうち、彼に及ぶものはなかったとされるヒゼキヤ王(列王記下18:5)も、バビロン王の使節にすべての宝物、武器などを見せてしまいました(イザヤ39:2)。奇跡的に病が癒え、祝いを受け、うれしさのあまり、つい得意になり、富を失うきっかけをつくりました(イザヤ39:6)。
 かたや、失意のとき思う聖句があります。「すると女は答えて言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます』」(マルコ7:28)。
 失意のとき聖書を頼っても、得意のときには必ず心に隙ができます。次の有名な聖句も、同じ意味で、得意を戒めているように思えます。「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう」(マタイ5:4)(遠藤さんは今求道中です。編集部)



原宿彩彩

●安積先生からのお便り
 シリーズ第8回「家庭会セミナー」(6月5日)講師・安積力也先生からの熊谷幸子さん宛のお便りをご紹介します。「(原宿ニュース)『特集号』拝見しました。まとまりのないお話であったにも拘らず、あんなに真実に、深く自らのこととして聴いて下さったことを改めて覚え、心が熱くなりました。熊谷さんと役員の皆様の祈りを聴き、神様がお働き下さったのだと思います。主のお仕事をさせていただいたこと、感謝しています」

●ゴールデン・シニア・セブン!−聖章暗唱大会(7.17)
 7月第三安息日の午後の集会室では、ことしも、御言葉の力を分かち合う、すてきなひとときが持たれました。チャレンジして下さったのは次の7人の方々です。ありがとう!〔登壇順、敬称略。カッコ内は暗唱聖句〕平山茂子(詩篇100)、樋口恵美子(詩篇19、英語)、石田絹子(イザヤ53)、今米子(へブル1)、林台圭(ローマ9、使徒26)、今勝(詩篇91)、辻野康弘(詩篇39,40、ローマ5)。終了後、感嘆しきりの長池先生から、記念品と感謝状がそれぞれ手渡されました。

●ADRAチャリティーコンサート
 7月第一安息日の夜、八嶋博人氏によるバイオリンチャリティーコンサート“オリオンの霧”がチャペルにて開催されました。来場者は150人を超え、チャペルは満席となりました。バイオリンの音色はもとより、八嶋氏のお人柄に観衆は魅了され、とても楽しいコンサートとなりました。コンサート終了後、「素晴らしいコンサートでした」「また、コンサートを開催する時は声をかけて下さい」「終わった後、“楽しい!”って気分になるコンサートでしたね」という声が聞かれました。収益金は、ADRAの「モンゴル学校建設事業」に用いられます。(CW)

●バプテスマおめでとうございます!
 7月最後の安息日、上野 周兄、佐藤公徳兄のバプテスマ式がおこなわれました。昼食時には、バプテスマのお祝い会も開かれ、教会員一同、祝福された時を過ごすことが出来ました。これからのご活躍を期待しています。

●こちらもパワー全開!−VBS(7.26〜28)
 「たけだみゆき、ながいけはるか、おおぬきゆみ…」と、何と30人を超す名前が並んだ大出席簿には、出席印の赤いワニさんマークが3日で86個。元気印で一杯の「夏やすみこども聖書学校」は皆勤、実に27人を数えました。27日(水)の代々木公園ピクニックをはさみ、前後二日は教会で、聖書の勉強、工作、お話など楽しいプログラムの数々。28日午後には、礼拝堂で加藤羊子さんのオルガン演奏『威風堂々』が流れる中、一人一人に柴田先生から修了証書が手渡されました。今回のVBSのテーマは「Peace(平和)」。式後、3、4年生クラスは、2日間話し合って作った絵本『戦争をやめた王様』を発表、1、2年生からは和紙を使った工作と、「ゆるす」という題で話し合ったことや、「幸せなのはどんなとき?」の答えをめいめい描き出した絵が披露されました。幼稚園クラスは万華鏡やうちわづくり。それぞれ誇らしそうに作品を掲げてくれました。(なお、米国から、村崎はるかちゃんも参加、とても楽しそうでしたよ。)ご奉仕くださった皆さん、ご苦労様です。(「こんなに大勢!祝福ですね」「子どもたちのエネルギー、すごいですね」「よく食べてくれたわ」…あちこちから、こんな声が聞こえていました)




神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったら神のまえにささげたい
八木 重吉(一八九八〜一九二七)



連載・第4回 The Vision Bold

「まぼろし」から癒しの「まほろば」へ〜SDA医療機関のあゆみ in USA〜
売間 正男

 1898(明治31)年、Dr.ケロッグと弟のW.K.ケロッグは、熱心に研究を続けて、コーンフレークを開発しました。そして彼らが改良に改良を加えたコーンフレークは、アメリカ人の朝食スタイルを変えていったのです。今では世界のあらゆる国で、ケロッグ・コーンフレークが製造販売されています。(日本では、食品大手の味の素株式会社が、ケロッグと提携して、生産と販売をしているはずです。)
 さて、SDA初のクリニックを造るときに最初の献金500ドルを提供した、ほうき製造業者のJ.P.ケロッグには、17人の子どもがいました。その長男メリット・ケロッグは、カリフォルニアに足を踏み入れた最初のセブンスデー・アドベンチストです。彼は献身的でエネルギッシュな人物で、エレン・ホワイトやジョン・ラフボローたちとともに、大望をこの地で果たしました。メリット・ケロッグが家族を連れてカリフォルニアに赴きサンフランシスコで大工の仕事を始めたのは、1859(安政6)年のことです。町の人に呼びかけて聖書研究を積極的に進めた彼は、2年後には伝道集会を開いて、14人をバプテスマに導きました。しかしやがて、神様は自分に大工としての証しよりも違った道を備えておられると考えるようになり、水治療法を学んで、医者になりました。彼の名声が広まるとともに、カリフォルニアのアドベンチストの数はしだいに増え、1871(明治4)年に130人、73年に320人、翌74年には500人を数えるに至りました。
 この年、ミシガン州バトルクリークに、SDAの最初のカレッジであるバトルクリーク・カレッジが創立され、初の宣教師としてJ.N.アンドリュースがスイスに派遣されました(アンドリュース大学の名の由来です)。『サインズ・オブ・ザ・タイムス』の発刊もこの1874年のこと。4年後の1878(明治11)年には、サンフランシスコ郊外に小病院(Rural Health Retreat)が設立されています。今のセントヘレナ病院です。1891(明治24)年にこの病院の事務長に選ばれたのは29歳のジョン・A.バーデンでした。彼はやがて、カリフォルニアとオーストラリアのSDA病院と食品事業の発展に多大な貢献をするようになります。例えば、1898(明治31)年には、病院の北の方にベーカリーを造り、ここで初めて焼いた金粒粉のパンが評判となりました。ついには4階建ての食品工場を造って、パンばかりでなく、ビスケット、クラッカー、ピーナッツバター、グレープジュース、グルテン類と、色々な食品を製造して販売、大成功を収めたのです。(つづく)



ED園だより

 先週、富士山に登ってきました。娘を励ましながら、ひたすら頂上へ向かって歩く道のり。よく山登りは人生にたとえられますが、それを実感する道のりでした。どんなに辛くても一歩を踏み出さなければ、どうにもならない…ひたすら一歩を踏み出しました。その辛い道のりでも、虹や夜景、朝日や影富士に励まされ、無事に登頂成功! 成功の秘訣は「絶対登る!」という決意。この決意を人生に置き換えるのなら、「信じる!」になるのでしょうか。信じて、人生という苦難多き道のりを見事に走りきりたいものです。 (CW)

                                                                                                      






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