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2004年4月 第208号
「 東京中央教会牧師 長池 今から四十数年前の話になりますが、その当時米国では、悲願でありました月面着陸のための準備が着々となされておりました。 NASAに集結した気鋭の科学者たちが、惑星の軌道計算などのためにスーパーコンピュータを使って、営々と作業を続けていたのです。ところが、何度計算をし直しても、過去の或るデータが失われているとしか考えられないような事態が起こってしまうというのです。どうしてそうなってしまうのか原因が掴めないまま、とにかくこの問題を解決しなければ、コンピュータもそれ以上作動しないどころか、ロケットが月面に着地することもままならなくなってしまうのです。 しかしその時、スタッフの中に一人の熱心なクリスチャンがいて、聖書に太陽と月が1日の間動かなかったという記述があることを指摘したのです。 『旧約聖書』の「ヨシュア記」に、ヨシュアがアモリ人と戦った時、勝利するために日を延ばして下さるよう、神に祈り求めたことが記されています。(「ヨシュア記]10 : 12〜14) もちろん、このような指摘に対して、他のスタッフたちは笑って、誰も本気になどしなかったのですが、さりとてほかに何の思案も浮かばず、この「ヨシュア記」の記述を、歴史上の一事実としてコンピュータに入力したところ、たちまち誤差が大幅に調整されたということです。しかし、それでもまだ40分だけ計算が合わないのです。そこで、今度はスタッフ総出で、もう一度聖書の記述を検索したところ、「列王記下」に死の床に臥すヒゼキヤ王の寿命を15年延ばした印として、神が日時計の影を10度後戻りさせたという かつて米国の夕刊紙に載ったこの記事のことを友人に話したところ、 「まるで春宵の幻想みたいな話だ」 と、笑われたことがありました。 しかし、神が造り給うた「時」の刻みは常に正確であることを、私たちは知っています。また、聖書の記述の精度において然りです。 今まさに春爛漫の析、桜の名所は大勢の花見客で賑わっていることでしょう。しかし、その喧騒の中にあっても、全ての「時」は御言葉の精度をもって、確実に主イエスの御再臨という一点に向かって刻まれていることを忘れないようにしたいものです。 |