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2004年1月 第205号


    「のどかに越えん」
東京中央教会牧師 長池 明夫

 新年おめでとうございます。皆様には本年も一層輝く年でありますようお祈り申し上げます。

 私は年が明けると決まって思い浮かべる聖句がいくつかあります。その一つは「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい」(創世記2:16)という聖句です。今、私たちにはほとんど手つかずの一年が目の前に横たわっています。そして、神様はその全てを「心のままに取って食べてよろしい!」このように祝福に満ちた招きを下さっているのです。ですから、皆様ももっと、今年はどのような年にしたいか、今、夢を大きくふくらませていらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし、この神様の招きは、私たちにとって一年を自由に気ままに過ごしてよいということではなく、今年も聖書の御言葉の園へ誘って下さっている言葉に違いありません。ですから、日ごとに御言葉の森へ分け入り、園の木の実によって励まされ、豊かに養われたいものだと思います。

 とは言っても、私たちは時として、つらい局面にぶつかってしまったり、重荷を感じて喘ぐことだってあるかも知れません。そして、そのような時、私たちはしばしば、今背負っている現実を捨てて、どこかへ逃げ出したくなってしまうのではないでしょうか。しかし、たとえそのような現実にからめ取られても、全ては神様の御心の内にあって、御手の上に置かれているということを忘れないようにしたいものです。

 かつてアダムとエヴァは神様の御顔を避けてエデンの園の木の間に身を隠しました。そして私たちも同じように、時として「自己」という木陰に隠れてしまいたいと思う時がないでしょうか。しかし私たちにとって一等優れた隠れ場所があるとしたら、それはやはり、神様ご自身の中に逃げ込むことではないでしょうか。つまり、祈りの中に、御言葉の中に、讃美の中に、礼拝の中にです。

 昔、あるクリスチャンの方がこのような歌を詠まれたそうです。「神とともに行けば険しき山坂ものどかに越えん御手にすがりて」。 この信仰者にとって現実の険しい山坂から逃避することは、その険しい場所でご臨在下さる神様をいつも信頼し共に歩んでいくことでありました。ですから、どんなに人生が険しく見えても、のどかに越えていくことができるのです。

 私は思うのですが、神様が共にいて下さらなければ本当の幸福はありません。また、神様が共にいて下さらなければ、どのような不幸をも耐えていくことはできません。そして、神様が共にいて下さる時、人生のどのような境遇にも耐えることができて、ついには心から神様を讃美することができるようになっていくのではないでしょうか。

 かつて、二人の弟子がエルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ向かっておりました。そしてその時、いっさいの出来事について、互いに語り合い論じ合っていたということが福音書に記されています。そして私たちも、今年一年いっさいの出来事について、互いに語り合い論じ合っていくことでありましょう。時に神様と、また兄弟姉妹たちと、そして自問自答というかたちで……。しかし御言葉にはこのように記されています。「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」(ルカ24:15)。 主みずから私たちの方へ近づいてきて、共に歩んで下さるのです。この約束にゆだねて、今年一年、のどかに山坂を越えていこうではありませんか。



バプテスマおめでとうございます

「今だ!」ネリア・ロクシン

 2003年10月25日、私の人生でもっとも素晴らしい忘れ得ない日!
 マーク先生によって、熱海ARKでバプテスマを受けました。まことに神様のなさることは時にかなって美しい!

 私は敬虔なカトリックの家に生まれカトリックの学校で一貫教育をうけた筋金入りでしたが、聖書を読むことにひかれあちこちの教会に出入りしていたので、姉妹たちは私を笑いものにして「宗教ショッピング」と呼びました。アメリカのシアトルで老人ホームを始めましたが、これは神様のみ心ではなかったようで…その後仕事のために日本に来ました。原宿の教会に来たのも仕事に役に立つからだったのですが、ルディーやピーターと聖書を学ぶ時間を与えられ、彼らを通して本当の礼拝を知りました。今回、懐かしいマーク先生のバイブル・キャンプと聞いて、早速参加をきめました。 ARKは思った通りの静かなRetreat Houseでした。
 前の週にセリーが貸してくれた「日曜休業令」は私にショックを与えました。全てをご存じの神様が「今だ!」とおっしゃるのです。25日の朝、マーク先生に「今日、このARKでバプテスマを受けたい」とお願いしました。教会の理事会の承認も、ガウンの手はずも、ルディーが美しい野の花で飾ってくれた水槽も、全ては神様の備えてくださったもの…何も知らずにカメラを担いで来たジェフは、一連のイベントのカメラマンとなり全てを収録して、翌週TICの皆が感動と歓びのうちに見ることができました。
 水から上がった私をマーク先生が(神様が)抱きしめてくださり、「ネリア、わたしの大切な子よ。わたしがあなたのために用意していた神の国に、神の家族にようこそ!」というみ声を聞きました。
 今回初めてSDAのキャンプに参加したご夫婦、最近Loma Lindaで前立腺癌から癒されたTed Endoも一緒にバプテスマを受けられたら良かったのに…
 これからの道に幾多の苦難があろうとも祈りあって助け合って生きたいです。お祈りで支えてください。感謝をこめて。 Nelia.

「神様ってすばらしい!」五十嵐 勇

 僕が聖書研究を始めたのは、一昨年の三月頃です。でも、正直その時はまだバプテスマを受けるのはいやでしたが、母親に無理矢理花田先生の所に連れて行かれました。その時はいやでしたが、結構前から母にバプテスマの事を言われていたので、これ以上拒んだらどうなるか分からなかったので、とりあえず受けてみようかなと思っていました。しかし、聖書研究を受けていくうちに、神様のすばらしさを知り、段々バプテスマへの気持ちが高まっていき、ある日とうとう本気で、バプテスマを受けようと心から決心することができました。これは、聖霊が僕の心に入ってきたのだなと思い、今も神様に感謝しています。受洗後は、本当に感動して、「神様の子供」というすばらしさを実感し、言葉では言い表せない気持ちでいっぱいになり、バプテスマを受けて良かったなと思いました。本当に、聖書研究を受け始めた頃の僕とは気持ちが正反対で、こんな短い期間でこんなに変わることができたなんて、本当に神様の力はすごいなあと思いました。これからは、この神様への信仰を守り続けられる様に、お祈りと、今まで支えて下さった方々のお言葉を忘れないで生活していきたいです。
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。」(テサロニケ?5章16節〜18節) この聖句は?が小学生の時から好きだった聖句です。これからも、この聖句を目標にがんばっていきたいです。
(2003年12月6日受浸)



「お世話になります、どうぞよろしく!」

渡久山律子(三育学院カレッジ神学科2年。2001年5月19日受浸)

 私は那覇市の出身です。高校まで沖縄、大学は仙台でした。都銀系列のシステム開発会社に就職しましたが、父の看病のために2年足らずで帰沖し、同様の仕事に就いたものの数年後あまりの忙しさに精神的にダウン。のち、母校の附属中学で情報教育担当非常勤講師として1年働きました。両親はクリスチャンですが、私が物心つく頃には教会から離れていたので、私自身には信仰的背景はありません。体調を崩して以来菜食中心の生活に切り換え、八重岳でのヘルスインストラクター養成講座に参加したのがきっかけで、たまたま4年前の父の死後母が通っていたAMC集会所に、私も伺うようになりました。初めて覚えた聖句は?コリント10:31で、私の人生に大きな影響を与え、今も与え続けています。



聖句と私 三宅 光子

 「これは、主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で、あなたを守らせられるからである。」(詩編91:11)
 私が三、四歳の頃、北九州の門司教会の安息日学校では、子供達が順番に暗誦聖句をしていました。私の番となり、どきどきしながら「かみはあいなり」と言い終えた時は、ほんとうにホッとしたものでした。それからも両親と共に安息日毎に教会に出席したことや家での朝夕の家庭礼拝など、又、三育学院での学びの中に、多くのみ言葉に接して、神さまの愛の深さを知るところとなりました。
 学院を卒業する頃はすでに日米戦争が始まり、日に日に戦局は不利となり、教会は政府によるキリスト教弾圧で閉鎖、そして牧師先生方は投獄されました。激しくなった空襲でわが家は消失し、前途に希望がないように思われた時も、聖書のみことばのお約束によって導かれ守られたことは本当に感謝でございます。



教課ガイド

「ヨハネ」- 愛された福音書(安息日学校/04年第1期教課)

 ヨハネが書いたとされるこの福音書には、繰返し語られている幾つかのテーマがあります。徹底した神の愛、キリストにつながっていることの重要性などです。
 ヨハネは信仰の人、希望の人でした。そして何よりも愛の人でした。彼の信仰の出発点は、自分が神様から離れていることを知り、そのことが自らの人生の諸問題の根幹であることを認め、その解決としてイエス・キリストとその十字架のみわざを信じていくことでした。彼はかつて「雷の子」(ボルゲネア)と呼ばれた時もありましたが、正にそんなありのままの姿で主の許に来て主と共に歩みを始めること。それが彼の信仰の姿でした。そして、キリストに触れる毎日の歩みの中で荒削りの自分がいかに神様によって覚えられ、愛されているかを体験的に知らされていきました。神様に愛されまた神様を愛し、人を愛していくことにおいて大きく成熟していったのです。ですからヨハネは、小福音書と呼ばれる決定的な御言葉を預かりました。ヨハネ3: 16,17がそれです。つまり彼の確信は、イエス・キリストの十字架に見られる神様の愛の内にあったのでした。
 ヨハネによれば、クリスチャンというのは、進むべき方向をキリストに向けて、キリストのような品性を目ざして歩む途次にある者のことでした。それは、荒削りで不完全ながら、主イエス・キリストの十字架にあらわされた神様の大きな愛に応えて、精一杯の信仰を傾けて、その中で神様の助けと恵みとを豊かに体験する人生を歩んでいく者のことでありました。これが、ヨハネにとっての信仰であり証であったのではないでしょうか。その中でかつて「雷の子」とさえ呼ばれていたヨハネが愛の人として成熟していき、やがては聖霊の実をたくさん結ぶようになった、そのなまなましい証がこの福音書であり、三つの手紙や黙示録であることを覚えたいものです。(長池 明夫)



句歌

・ふるさとゆ香菓の送られ来
     部屋漂ふ初春の香
     (注)「ふるさとゆ」は「ふるさとより」の意。
        「香草」は柑橘のことです。

・神に拠り心の土地を耕しつつ
     生きたしと思う元旦の朝(信子)

・枯れし菊色美しき日もありき
・雨降りし度毎つのる寒さかな(夏)

・前輪に山茶花からみ光り行く
・黒土にざらめのごとく霜光る(保夫)

・生きてゐる証のやうな賀状来る
・年新た見ざる聴かざる黙りをり(茂子)



バイブル豆事典 ◆弟子シリーズ◆

「母の胸」から福音宣教の先駆者へ-タダイ

 マタイ10章とマルコ3章ではタダイと呼ばれるこの弟子は、ルカ6章ではヤコブの子ユダと呼ばれています。タダイという名は「母の胸」という意味から来ていますが、ある写本ではレバイ(「心」の意)とも書かれています。ユダが本名で、「母の胸」とか「心」と名づけられるような愛情豊かな人だった、というところでしょうか。あるいは、彼は若く、また精神的にも幼かったのかもしれません。その彼の言動を、唯一記しているのが、ヨハネ福音書14章22節。ここで彼はイエスに「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」と尋ねています。主イエスは、自らの死と復活について、まさにわが子に語りかける母のように、優しくタダイに答えておられます。時には父のように、時には母のように、そして時には親友のように、主は私たちに愛を示され、諭し、導き、成長させてくださるのです。タダイもやがて、福音宣教の先駆者として、大胆に使徒としての生涯を全うしたことでしょう。後にタダイは、ユーフラテスのエデッサで、アブガルス王の病気を癒すために主に遣わされて伝道したと伝えられています。(東京中央教会副牧師 花田憲彦)



ED園だより

 昨夏からこの年始にかけて数回、福島県白河市の北西(天栄村)の羽鳥湖高原に滞在し、そこから、それぞれの安息日に当教会の長池明夫先生前任の各教会をお訪ねして礼拝と良い交わりにあずかりました。それは大きな喜びでした。後任の窪田千栄先生と、数年前ご一緒に原宿英語学校のバイブルスタディに参加していたことを懐かしく語り合いました。先生には今春大きなお恵みが与えられて、広い福島県での一層パワフルな牧会のお働きが期待されます


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