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2003年6月 第198号


「故郷にはまだ」
元・東京中央教会国際部牧師 マーク・デュアート

 私は最近、宣教師としてアフリカで50年間働いた、ある夫婦についての話を読みました。働きを終えた二人が自分たちの故郷の空港に到着した時、そこには彼らを出迎えに来ている人が一人もいませんでした。なんということでしょう。(彼らは知らなかったのですが、これは事務員の手違いでした)。二人は自分たちの荷物を自ら運ばねばならず、また、家へ向かう乗り物も見つけねばなりませんでした。夫が失意のうちに、妻にこうつぶやきました。「50年間も神様に仕えて故郷に帰って来たというのに、誰一人出迎えに来てくれないなんて」。妻は夫の心のうちに苦々しい思いがこみ上げて来ているのに気づき、神様に相談するよう勧めました。夫は自分の部屋に入りましたが、しばらくすると晴れ晴れとした顔で出て来ました。何が起こったのか妻がたずねると、夫はこう答えました。「なぜ一人も出迎えてくれなかったのか神様に聞いてみたんだよ。そうしたら神様が教えてくださったのさ。私たちはまだ故郷に辿り着いていないということを」。
 故郷に辿り着いた人はまだ誰一人としていません。神の御言葉によると、この世において私たちは旅人であり、寄留者です。私たちは、この世が私たちの故郷ではないということを忘れてしまうほどに、この世を心地よい場所だと思ってはならないのです。また、天国のことを思うばかりで、この世でなんら良い働きをしないというのもいけません。神を信じる民がこの世においてとるべき態度について、聖書はこう言っています。「わたしはこの地にあっては寄留者です」(詩篇119:19)。「われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。」(歴代志上29:15)。
 神の民はいつの時にも他国人であり寄留者です。神の子は、生涯を通じて「その場にそぐわない感じ」を持ち続けます。神に近づけば近づくほど敏感になるのです。このことは、時として私たちに孤独感のようなものを覚えさせることがあります。
 「不安、ホームシック、孤独などの感情は、ある意味で私たちにとって必要なものである。天の父なる神は、私たちが神の内に、友情、愛、慰めを見出すよう教えようとなさっている。それらのみが私たちの切なる希望や願いを満たすことができるのである。絶えずキリストを相談役とする時に、私たちは守られ、幸せでいることができる。この広い世界に友が一人もいなくても、キリストを最高の友とするならば、あなたはキリストにあって幸せになることができるのである。」(『我らが高き召し』p. 259)
 神は、罪や苦悩のかけらが一片もない完全な世界を創造されました。人類は神の友として創造されました。しかし、私たちが知っている今の世界は正常ではありません。それでも私たちは、この世のありとあらゆる所に数え切れないほどの神の愛の証や驚異を見ることができます。これらの証は、もっと良い世界がやって来るのだということを私たちに思い起こさせてくれるのです。神が救いのわざを完成なさる時まで、神を求め続け、神の御心と御言葉を求め続けましょう。この御心と御言葉が私たちを故郷へと導いてくれるのです。その時まで、私たちはまだ故郷に辿り着いていないのだということを忘れずにいましょう。



†追悼・井上 澄さん(5月6日逝去、95歳)

 「心暖まる日々でした」

 敬愛する井上兄が、しばしの眠りにつかれました。私が井上さんにはじめてお目にかかったのは、昭和62(1987)年9月のことで、鴨田増一先生が私共のために始めて下さった「メンズ・バイブルクラス」の開講の日でありました。井上さんと大分前に亡くなられた篠崎文夫さんと私が主なメンバーでした。 未だ聖書について何も知らない私達は、本日、司式をして居られる千先勉先生からも、ヨハネ福音書、コリント書、伝道の書等々を懇切丁寧に教えて戴きました。当時は私共も、今よりは大分若く元気で、井上さんは千駄ヶ谷のお宅から歩いてこられ、先生を中心にいろいろと話しあったことなど懐かしく思い出します。それ以来十数年間、心暖まるおつき合いをさせて頂き感謝でありました。
 安息日学校も、礼拝も、御一緒に出席し、洗礼を同じ年に一か月違いで受けました。洗足式には互いの足を洗いあいました。井上さんは熱心に聖書を学んで居られ、年をとっても衰えぬ記憶力で、数々の聖句を暗誦して居られました。マタイ福音書7章12 節“何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ”がお好きな聖句でありました。
 井上さんは私より一まわり上の羊年で12歳年上であられるのですが、お元気な方で、 80歳を超えられても、毎年北海道の兄君のところへお見舞いに行かれ、又、マレーシア在勤のお孫さんを訪ねるなどの海外旅行もされるなど、常に前向きな姿勢で行動力ゆたかな方であり、私はその点でも敬服して居りました。 聖書に対する洞察力には深く教えられることも多くありました。深く神に信頼し、すべてをおまかせするという信仰に徹して居られました。又ある時は、自分が他の宗教でなくキリスト教に出会い導かれたのは本当に幸せなことだった、感謝していると述懐して居られました。
 人間は、この世においては誰でも、死という別離に遭わねばなりません。これは悲しいことでありますが、キリストを信じる者には、再び会える日がくるという約束が与えられているのですから、その日を待ち望みつつ、井上さんの上に安らかな憩いを祈り、又御遺族の上にもお慰めがありますようお祈りいたします。(小林 道雄)

 「贈る言葉」

 井上 澄様。そのお名前通り青葉の美しい季節に、一陣の風のようにあなたは立ち去っていかれました。つい先日、お元気な姿を拝見したばかりの私は、教会の大切な宝ものを、ふっと失くしてしまったようで、この突然のお別れを未だ信じられないでいるのです。
 井上さんを挟んで小林さんと私の三人は、以前いつも並んで安息日学校と礼拝の時間を過ごしていましたね。ある時、歌いながらふと横を見ると、井上さんはお顔を賛美歌集に着くほど近づけて歌っていらっしゃいました。
 ああここに、これほど神を慕い、神に委ね賛美を捧げている兄弟がいる……胸が痛くなって、それ以上私は歌えなかった、井上さんは一度だってお目が不自由だなどとおっしゃったことはなかったのです。少しも知りませんでした。井上さんはお好きな聖句「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカ6:31 新共同訳)を自ら貫いていらしたのです。
 井上さんが私の母と同じ明治40年のしかもひと月違いのお生まれと知って親しみを感じ、色々お話しすることがありました。時折お孫さんや曾孫さんの写真を見せて下さることもあり、そんな時の井上さんはこの世で一番お幸せなおじいちゃまそのものでした。けれど時には、青年のようなナイーヴさで、そのころ書いていた『原宿ニュース』の「季節の言の葉」について感想を述べられることもあり、思わずたじろいだものです。それはいつもすっくと背を伸ばし、杖もなく歩かれる姿に一脈通じました。
 あのように年齢を重ねたいと誰しも願ったことでしょう。あとに続く者にとって井上さんの存在は、大きな励ましであり平安でした。
 その井上さんともうお別れするのは本当に悲しくまた残念です。でも井上さんの遺されたものは大きく守り甲斐のあるものばかりです。そして私達は知っています、天国で再会できることを。ですからこれから申し上げるさよならは、再び会う日のための「さよなら」です。井上澄さん、さようなら。(熊谷 幸子)(5月8日告別式式辞より抜粋)



「バプテスマおめでとうございます」

「神様の賜」菅原 弥生

 初めて東京中央教会を訪れたのは小学生の頃です。友人に誘われて子供バイブルクラスに参加しました。子供の頃って、いいですね。すんなりクラスに溶け込んで、ごく素直に神様を受け容れていたと思います。でもそれは、純で幼かったあの年頃だけのこと。その後は、ときたま神様のことを思い、懐かしいあの素直な気持ちを思い起こすことはあっても、世の波の中にあてどなく漂うばかりの、信仰とはほとんど無縁の歳月が流れました。しかし、そんな私が再びこの教会に戻りました。いや、連れ戻していただきました。聖書研究をひととおり終えてからバプテスマの決心をするのに数年もかかるという、厄介な迷いっぱなしの小羊を、神様は見捨てずにいて下さったのです。
 それまでの私は、困難に出あったとき何もかも自分の力でやりとげねばという気持ちが強く、結局うまくいかなくて落ち込む。その繰り返しでした。しかし、聖書の御言葉を学ぶうち、がんばったあとはお祈りをして神様にお委せする、そうすれば神様はきっとよいように取り計らってくださるのだという気持ちが(正直のところ迷いも引きずりつつ、長い時間を要したのですが)、少しずつ少しずつ心の中に湧き上がってきました。そして罪を悔い赦しを乞い求め、神様に感謝できる素直な気持ちになりたい、人に寛容でありたい、人を憎まぬ優しい人になりたいと願い始めておりました。恐れを知ること少なく神様の愛を忘れがちであった私ですが、神の子として完全な愛をお受けして、それを多くの人と分かち合いたいと心から願うようになり、この3 月15日、受浸いたしました。板東先生に導かれてバプテスマ槽に浸ったときには、ああ、いま自分は生まれ変わるのだという思いと、イエス様は私の罪を背負っていて下さったのだ、本当にありがとうという思いが胸に溢れました。
 神様から授かった賜、それは完全なる愛だと思います。いただいた私は、本当に幸せです。これからは更に多くのきょうだいたちと、この賜を分かち合えるようにいつも祈り、ご奉仕もさせていただきたいと心から願っております。皆様、温かく迎えて下さいまして、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。



「聖句と私」 長池律子

 愛は寛容であり、愛は情深い。……そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。(コリント人への第一の手紙・13章4〜8節)
 我が家には、三人の娘がおりますが、それぞれ私のお腹にいる時から、それはよく動き回る子供達でした。そのせいか、今でも活発すぎて色々な事をしでかしてくれます。娘達のエネルギーはすごいもので、しばしば私には手に負えず、終いに、主人のかみなりが落ちて、ようやく我が家にも静けさがもどるのです。その子供達が、時折「今日はお母さんやさしいんだね」と言う日があります。それは、私が家事に精を出し、普段より細やかな心遣いをするらしく、主人も目を丸くする、そういう日なのです。でも、主人も娘達も、それはなぜだか知らないと思います。実はそれは、教会で結婚式があった日なのです。コリント書“愛の賛歌”の御言葉を式の中で耳にするたびにジーンときて「そうだワ!」と思い、誓約の言葉の時が来るに及んで、毎回涙してしまうのです。「今からでも遅くない。もっといい妻に、いい母親になろう。愛だワ! 忍耐だワ!」 心からそう思うのです。でもしばらくすると、元の木阿弥、中央教会の結婚式を通して、愛の御神にふれ、愛のある妻、母そして牧師夫人として成長できるよう祈り求めていきたいと思います。



『小塩先生、ありがとう!』

(第6回家庭会セミナーに寄せられた声を特集しました)

 家庭会セミナーが、5月の第二安息日(10日)の午後、ドイツ文学者・中央大学名誉教授、小塩節先生をお招きして、礼拝堂で開かれました。(出席者162名。うちゲスト84名) 演題は「天への捧げもの 音楽」です。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンらが創作に託した神への深い思い、遭遇した苦難とその克服と、そしてこの世のものとは思われぬ調べの数々…。音楽のすばらしさと、巨匠たちへの敬愛の念と共感があたたかく伝わってくる、愉しい祝福の午後でした。(◎印はアンケート回答。 ○印はお便りと寄稿)

◎音楽は宗教です
横浜市金沢区 金谷研 70歳(一般参加)
 小塩先生の音楽のお話には、いつも神の意志のようなものが感じられます。今回は体調も回復され、乗りに乗って美しいバリトンで『春のあこがれ』と『私は鳥刺し』を口ずさまれ、一段と楽しかったです。お話を聞いていて、小塩さんご自身がバッハやモーツァルトと同じように、天への捧げものを話されているのだと思いました。私としては、音楽は宗教だという思いを深めました。またこのような機会を与えて下さい。

◎すばらしいメッセージ
練馬神の教会 竹内ヒロミ 52歳
 ヨーロッパの作曲家たちは本当に信仰に根づいた方々だと、先生のお話を伺い深く思いました。気持ちを新たに、作品を聴いてみたいと思います。「神を信ずる人はいつの世にもそう多くはない」とおっしゃっていましたが、その少数派の中で、心から神を信じ、その「火」が人に伝えられたらと思いました。先生の「メッセージ」を受け取りました。

○楽しい時を有難うございます
目黒区碑文谷 並木久美子(一般参加)
 初めてSDA東京中央教会にお伺いし、礼拝堂の落ちついた雰囲気とステキなステンドグラスの美しさにみとれ、小塩節先生のお話と聖歌隊の皆様の美しい歌声、森武靖子様のパイプオルガン演奏に聞き惚れ、とても感動いたしました。教会の皆様は朝からご準備で大変でございましたでしょう。楽しい時を過ごすことができまして有難うございました。

◎教会音楽のすばらしさ
渡辺みよ子(一般参加)
 私は先生の著作の愛読者です。ドイツに関する御本は大部分を拝読しております。ご講演を、首を長くしてお待ちしておりました。お話をお聞きして、教会音楽のすばらしさについて啓発されました。今後は、音楽に関する御著書も読みたいと思っています。

○感動しました
小金井教会 岩並義正
 全然内容を知らずに出席したのですが、たいへんすばらしいお話で、深く感動しました。クワイヤの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》にも泣きました。(中略) 私は20歳台のころにモーツァルトのレクイエムを聴き、聖書に導かれ、この教会に入りました。これからもご指導いただけますなら、うれしく存じます。

○作曲家たちの思いに耳を傾けたい
廣野英子
 音楽を、ただ安らぎに聴くのではなく、偉大な作曲家たちの思いに心寄せて、すべてのことを益として下さる主に、どんな時でも感謝することのできるよう、聖霊を招くことのできる道として、耳を傾けたいと思いました。これまでの講演会、“逃した魚の大きさ”が悔やまれますが…。一度でもこの企画により、教会へ足を運ばれた方々が主に導かれますよう、また家庭会の皆様のお働きに、主のお優しい労いと豊かな祝福がありますようお祈りいたします。

○“知識と人徳の泉 ”
小野上真也
 淀みなく滔々と、原稿もお持ちにならずお話しになる様は、さすが大家と、それだけで感動を覚える講演でした。気さくなお人柄を映し出すように、笑いを誘う挿話も随所に織り込まれ、まさに名人技と、またも感激。次々に紡ぎ出される巨匠の知られざる素顔についてのお話も大変興味深く、「小塩シューレ」に浸りきりでした。以前、高校生の頃にお会いしたお姿と変わるところはなく、「知識と人徳の泉」のような先生は今もご健在、と改めて実感する一日となりました。最後に我々聖歌隊に向けて深々とお辞儀をされた先生の姿に、「謙虚さ」とはかくあるべきと感じ入りました。

○音楽で神を賛美できる祝福に感謝
熊谷幸子
 病弱、貧困、別離、その失意の最中にあっても何故バッハは、モーツァルトは…作曲家は音楽を創り続けていったのか、それこそが何故、音楽がかくも人の心を突き動かすのか、の答でした。小塩先生の霊的で息もつかせぬご講演がその答を引き出してくれました。最後、聖歌隊の前に立たれ、拍手を送られた先生の姿が印象的でした。音楽をもって神を賛美できる祝福を、改めて深く感謝しています。



「6回シリーズ家庭会セミナーを終えて」

 昨年3月の「夫婦」(及川恵姉)に始まった家庭会セミは、6月の「危機」(二瓶和敏弁護士)、7月の「高齢」(上田健先生)、10月の「思春期」(安積力也先生)をぶじに終え、今年3月「人生の幕」(日野原重明先生)が引かれました。そして5月にはテーマを天に移し「天への捧げもの 音楽」(小塩節先生)でEND。
 慌ただしく家族の歳月を駆け抜けたわけですが、振り返ればいつもそこには、お祈り以上に叶えて下さった神よりの祝福がありました。そして皆様のお力添えなしには出来なかったことばかりです。有難うございました。8人のメンバーもそれぞれのタラントを活かしフル稼動。特に栄沢姉と久木田夫妻には、夜や休日の時間を返上して作業をしていただき、本当に大変であったろうと感謝でいっぱいです。
 次はいつ、誰というお手紙や電話での問合せもすでに幾つも来ていますが、まだ何も考えていません。ただ新しい企画でまたスタートした折には、どうぞ応援して下さい。(熊谷幸子)



原宿彩彩

●素敵な三日間でした - キャンプミーティング
 6年ぶりの東京東地区キャンプミーティングが、5月9日から11日まで、山梨県・石和温泉の「ホテル新光」で行われました。13教会から123名(中央教会からは33名)の方々が参加。「荒野で泉を発見した」(創36:24)というテーマにピッタリの、源泉掛流しの温泉、おいしい食事、昇仙峡の素晴らしい大自然に、日ごろの疲れを癒しつつ、白石尚、東海林正樹、鈴木明理先生のメッセージに励まされ、力を受けることが出来ました。柳瀬洋、佐和子夫妻のクラリネットとピアノのコンサートもお見事!
 神様への賛美が溢れ出てくる名演奏でした。各教会の紹介では、中央教会からの参加者が実に「いい味」を出しておられました。詳しくは園田のおばあちゃんに聞いてみてくださいね!(花田憲彦)

●歓迎! マ−ク・デュア−ト先生
 長らくTICでご奉仕下さった先生が約1年ぶりにおいでになりました。先生は今、米国カリフォルニア州のマウンテンビュ−日本人教会でお働きです。来日に先立って、本紙に巻頭メッセージをお寄せ下さいました。6月8日(日)には、古浦律子さん(在米・元英語学校勤務)とジョン・トリプレットさんの結婚式の司式をなさる予定です。

〈日野原重明先生からお礼が届きました〉
(拝復 五月六日 過日はお手紙と“人生の幕引き”のCDをお送り戴き感謝します。私としても恵まれた会に出られ満足です。 日野原重明)

●第4回チャペルコンサ−トのお知らせ
瀬戸典子さん(ソプラノ)と森武靖子さん(オルガン)の出演により、6月28日(土) 19時より、当教会礼拝堂にてイラク復興支援のための演奏会が行われます。曲目はプッチーニ「愛しい父よ」、フランク「コラール第1番」、アダムス「聖なる都」他。



俳句

あな青し蒼し翠しと山笑う    (机子)

新緑の冴えし色合い心澄み     (夏)
更衣枝の小鳥の声ききつ    

菜の花も子連れの鴨も蛇行せり  (保夫)

虹立ちてよきことありし一と日かな(茂子)



バイブル豆事典 ◆弟子シリーズ◆

最初の殉教者ヤコブ

 ヤコブという名を持つ弟子は2人います。ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ、年長のヤコブ)とアルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)。さらにまぎわらしいことにイエスの従兄弟にもヤコブがいます。ゼベダイの子ヤコブはガリラヤ湖の網元の息子。弟子の一人である兄弟ヨハネと共に雷の子と呼ばれ、とかくキレやすかった。イエスと弟子達がサマリヤ地方を旅し、宿を捜している時サマリヤ人に断られ「火を放ってこいつらを焼き殺してしまいましょうか」と言った程でした。またこの兄弟、かなり図々しかった。ある時、イエスに神の国においてイエスに次ぐ位を求めたのです(マルコ10: 35〜45)。イエスは特に、雷兄弟ヤコブとヨハネ、的はずればかりのペテロの3人を連れ出すことが度々ありました。他の弟子以上に教える必要があったのかもしれません。イエスの死後、ヤコブは遥かスペインまで福音を伝えました。ヤコブの肖像は旅姿で、巡礼の杖を持ち 、頭陀袋を背負い、ホタテ貝を片手に持っています。西暦44 年、ローマ帝国からガリラヤの統治を任されたヘロデ・アグリッパ一世は、キリスト教に反対するユダヤ人の歓心を買うためにキリスト教徒を迫害し、まっ先に、ガリラヤ地方で指導者として活躍していたヤコブの首を刎ねました。弟子の中で最初の殉教者です。ヤコブの名の意味は「神は報いたまう」。キリストの苦難の盃をなめたヤコブに神は必ず報いてくださるのです。(東京中央教会副牧師 ウォ−タ−ズ・今日子)



ED園だより

 衣替えの季節。真冬にも半袖が流行る昨今は、どうもこの感覚が鈍る。制服に身を包んだ学生時代の方が季節を身をもって感じていたようだ。ところで、クリスチャンに制服があるとしたら? やはりフカフカとした羊の毛のような上着? その真っ白な制服に着替えたはずなのに、泥んこ遊びに熱中しすぎた羊は、狼の群にいてもわからないような色に変色してしまう-。もうすぐ恵みの雨が降る。すべての汚れを洗い流していただき、あのさわやかな白い制服のまぶしさを実感したい。(雅)


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