SDA東京中央教会

牧師からのメッセージをお届けします。

「御言葉の飢え渇き」

2017年10月 東京中央教会牧師 藤田 昌孝


 「魚もし水をいづれば、たちまち死す」

 これは『現成公案』にあります道元の言葉だそうです。魚が、もし、水を出てしまえば、たちまち死んでしまう・・・・と道元は言います。魚たちは、みんな同じ水の中で泳いでいる、みんな同じ水の力で生かされている、と言うのです。

 私はこの言葉を聞かされたとき、聖書の次の言葉を思い出しました。それはイエス様が引用された旧約聖書申命記の言葉です。 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」 (マタイによる福音書 第4章4節)。

 私たちは、本来、神様の言葉、聖書の言葉から離れては生きていけないのです。 私たちがそれぞれ、自分勝手に自分の都合で、自分の考えや自分の良し悪しにしたがって生きているとき、そこには混乱が生じます。争いが生まれます。生きがいが喪失します。不平不満が生まれます。平安が失われ、不安でどうしようもなくなります。それはちょうど、水から出て苦しみもだえている魚のようでもあります。

 私は、現代社会が抱えている多くの問題は、まさにこの神様の言葉の欠乏から生じているのではないかと思うのです。旧約聖書のアモスという預言者はすでにそのことを預言していました。

  「見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。 わたしは大地に飢えを送る。 それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」(アモス書 第8章11節)。

 ここに描かれている将来は、人がパンに飢えることでも、水に渇くことでもありません。実に、人が主の御言葉に飢え渇くということです。

 それは、世の中に聖書がなくなるということではないでしょう。それは、この世に教会が失われるということでもないでしょう。そうではなくて、それはきっと、人々の耳が聖書の言葉に耳をかさなくなる、ということだと思います。多くの人々が神様の言葉に心を開かないがために、霊的な暗黒を自ら招いている姿を表しているのだと思います。

  私はこの夏、トウモロコシとそうめんの食べすぎですっかり太ってしまいました。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

 ドキ・・・・「お前さんはパンの食べすぎ、もっと聖書を読みなさい」と言われているような気がします。食欲の秋を迎えていますが、パンの程はもう少し減らして、その代わり、聖書の言葉をもっとじっくり読む秋の夜長にしたいと思います。