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[第4回] キリストのために生きる 

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東京中央教会牧師 板東 洋三郎

 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子によって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。コロサイ1:16

 新年にあたり、主のみ名を心から讃美いたします。
 昨年は、ノーベル賞ダブル受賞や日本中を沸かせたワールドカップ等の明るい出来事もありましたが、全体としたら、国内では経済の冷え込みが度を増し、国際的には、大小のテロとそれに対する報復のために多くの犠牲者を出した不安材料の絶えない一年でした。
 そういう中で新しい年を始めるにあって、「自分の過去は一体何だったのだろう」、「これから先、何を目標として生きていくべきなのだろう」、「自分は何のために生きているのだろう」、という、人間の根本的な問題に思いを巡らせておられる方も多いかと思います。これらの問は単なる思考の遊びではなく、日々の現実の人生と大きな関りがあります。なぜなら、自分の存在の目的をはっきりと理解していることは、極めて多様かつ複雑化している現代社会の様々な問題や不測の状況において、賢明な判断をもって、それらを乗り越えて行く大きな動機になるからです。さらに、そのことは、ただ流され、あるいは、試行錯誤を繰り返えすだけで、充分に意味もつかめないままに生きて行く事から来る、不安や空しさから解放してくれます。
 しかし、多くの人々は、自分の人生の目的に確信が持てない、と言います。人は、自分に焦点を合わせている限り、これらの問いに対する答えを見出すことは出来ないでしょう。しかし、神の観点から考えるとき、全ててがより単純明快になり、意味をもってきます。つまり、私が創造主なる神を認め、主として信じるとき、神は当然、被造物である私を具体的な目的をもってお造りになったことをも認めるからです。もし、神が、目的をもって私に生を与えてくださったのならば、それを満たすために必要な全ての助けを与えてくださると信じるのは至極当然なことではないでしょうか。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画 〔目的〕に従って召された者たちと共に働いて、万事を益として下さることを、私たちは知っている」(ローマ8:28)、と約束されているのはこの理由によるものです。
 聖書によりますと、人の存在の目的は、創造主であり、救い主であるキリストのために生きることです(コロサイ1:16)。人は、そのときはじめて、永続する本当の満足と幸せとを体験できることが約束されています。
 悲しいことに、クリスチャンも含めて、多くの人が自分の目的を実現する ために、神を使おうとします。しかし、この新しい年の始めにあたり、私た ちが置かれたところで、与えられた可能性に従って、神が、ご自身の目的 に従って私たちを用いて下さるよう、心して歩む一年であるようにと願っ ています。

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