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[第2回] 決断の時の導き手―ジョルジーニョの証しその2

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東京中央教会牧師 板東洋三郎

 日本はもちろん世界中を沸かせたワールド・カップも、いよいよ大詰めになりました。この原稿を書いている今はまだワールドチャンピオンが、ブラジルか、韓国か、ドイツかあるいはトルコなのかわかりません。それぞれ応援するチームがあるかと思いますが、いずれにしてもいい試合を見せてもらいたいものですね。

 ところで、先回は、世界的なサッカー選手として認められ始めていたジョルジーニョが、物心両面の誘惑の恐ろしさと、ファンやメディアから受ける賞賛にもかかわらず満たされることのない心のむなしさを感じてイエスさまに心を委ねる決心をした、というところまでお伝えしました。

 イエス・キリストが、単なる歴史上の人物でもなく、十字架上で殺された敗北者でもなく、死からよみがえって今も自分のために働いておられることを体験した彼はためらうことなく、イエス・キリストを救い主として心に、そして人生にお迎えする決心をしました。また、聖書は神の言葉であって他の本とは次元が違うこともわかってきました。こうしてジョルジーニョは、その決心を公に表すものとしてバプテスマ(洗礼)を受けました。1986年6月1日のことでした。その翌年、クリスチーナと結婚し、今では、一男二女のお父さんです。

 87年のオリンピック予選に選ばれたジョルジーニョは、一躍ブラジルの時の人になってしまいました。しかし、そのことで彼は高慢になることはありませんでした。オリンピック予選の第一戦では強豪アルゼンチンに2対0で負けました。次の相手は、これも手ごわいコロンビアでした。その頃ジョルジーニョは、聖書を通読していてちょうどサムエル記上を読んでいました。そこには少年ダビデが巨人ゴリアテを小石で打ち倒した記事があります。彼は、コロンビアはゴリアテで自分達はダビデだという気がしました。同僚のベベット選手にこのエピソードを話しますと、ベベットは、とても勇気付けられたと喜び、二人は、自分達もダビデのように勝利を信じようと励ましあい、心を一つにして試合に臨みました。海抜3600メートルのボリビアでの試合は苦しいものでした。前半でコロンビアから先制点を奪われ、厳しい展開になっていました。前半の終わりにベベット選手からロングパスが来ましたが、息切れがし、足は思うように動いてくれませんでした。「ああ、どうしよう。そうだ、祈ろう。主よ力を下さい」。彼は夢中で祈りました。すると、不思議に力が与えられて、相手のディフェンダーとの競り合いでボールを奪い同点のゴールを決めることができました。さらにブラジは後半でもう一点入れたので、2対1でコロンビアに勝つことができました。続いてボリビアにも2対1で勝ち、アルゼンチンがコロンビアに敗れたのでブラジルが代表として選ばれました。聖書の言葉がこれほどリアルに感じられたことも始めての経験であったので、ジョルジーニョにとっては忘れられない試合となりました。.

 89年のあるとき、教会の祈り会で、遠方からきたという見知らぬクリスチャンの男性が話しかけてきて、「神さまは、あなたを外国に遣わすと言っています」と言いました。プロのサッカー選手なら、一度はヨーロッパのチームでプレーしてみたいと思うに違いありません。それに対して、妻のクリスチーナは「ドイツと日本以外なら、どこにでも行きますよ」と、冗談半分で答えました。というのは、ドイツはなんとなく堅苦しくて近寄りがたいイメージがありましたし、日本はというと、地球の裏側の離れ島というイメージしかなくて、なんとなくなじめなかったからでした。

 ところが不思議なことに、それから少したって、ドイツ一部リーグのレバークーゼンから移籍の招待が来たのです。ドイツに行くべきか、国内に残るべきか。彼らは迷いました。ジョルジーニョとクリスチーナは神からの確信を求めて熱心に祈りました。そんなある朝、「強く、雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」という、旧約聖書ヨシュア記1章9節の言葉が彼の心に響いてきたのでした。彼らは、この言葉に支えられて思いもしなかったドイツ行きを決心したのでした。全く言葉の通じないドイツでのことは、次の記事でお伝えします。

 有名人であろうが無名の私たちであろうが、人生における大切な決断に面することには違いがありません。人の知恵や能力には限界があります。最も適切な判断と、それを実行する力を、全知全能の神に求めることが出来る人は幸せだと思います。聖書の祈りの言葉を一つ記しておきます。これは、神を受け入れる人に対する約束でもあります。「また人知をはるかに超えたキリストの愛を知って、神に満ちているすべてをもって、あなたがたが満たされるようにと祈る」(エペソ人への手紙3章19節)。ではまた、次の記事まで。ごきげんよう。(SDA東京中央教会 主任牧師 板東洋三郎)

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