[第1回] 神のチームでプレイしよう

東京中央教会牧師 板東洋三郎

 サッカー界の最大のイベントである、四年に一度のワールドカップが近づいています。今回は、特に日本と韓国が共同で主催するという初めての試みでもあり、その意味でも世界中の関心を集めているようです。日本では、一般の市民が協力して参加国の選手達のケアをしているところもあり、文字通り国際友好の大きな働きをしています。何かと軋轢(あつれき)の多い現在の国際社会にあって、スポーツを通して互いの理解と友好が深められることは、大いに喜ぶべきことだと思います。

 ところで、サッカーといえば私には忘れられない人がいます。鹿島アントラーズでプレイをしていたジョルジーニョ選手です。彼は、1994年の第14 回ワールドカップでブラジルチームを優勝に導き、その後も、ブラジルをはじめドイツや日本でも、華麗なプレイで観客を楽しませてきた選手です。数年前、クリスチャン選手として知られる彼が、茨城県にある全寮制の三育学院中学校に招かれました。私は頼まれて通訳をすることになり、親しく彼に話を聞く機会が与えられました。以下は、そのときの話と、いのちのことば社刊の「栄光をめざして」からまとめたものです。

 ジョルジーニョは、6人兄弟の末っ子としてリオ・デ・ジャネイロに生まれましたが、10歳のときに父親を事故でなくしました。富と栄誉とを夢見て、13歳のときに、有名なサッカーチームに所属します。やがて彼は、努力と才能によって、着実にプロ選手として成長し、1984年には、20 歳でロスアンジェルス・オリンピックの予選にブラジル代表として出場するまでになりました。夢見ていた富と栄誉が現実のものとなったのです。ところが、彼の家族はといえば、ジョルジーニョの経済的な支えのおかげで豊かになったものの、酒と麻薬に加えてマクンバという霊媒の宗教による撹乱(かくらん)とで最低の状態でした。彼自身も、自分が酒とタバコと女性問題でプロとしてサッカーを続けるには危険な状態にいることを知っていましたが、自らの力ではどうすることもできませんでした。ところが、酒と麻薬の依存症に苦しみトラブルメーカーであった、すぐ上の兄の生活が、突然変わったのです。じつは、この兄は、キリストを信じるようになり、劇的な生まれ変わりを経験していたのでした。しかし、ジョルジーニョにとっては依然として、サッカー、名声、お金、能力がすべてであり、彼の神でもありました。

 そのころ、彼は左太股の肉離れを起こしていました。回復しなければ、サッカーを断念しなければならないとまで言われました。彼は、生まれてはじめて自分から教会に向かいました。そして、牧師に祈ってもらいました。驚くべきことに怪我は不思議なほど早くなおり、つぎの週には試合に出ることさえできたのです。いつしか、ジョルジーニョは、気付き始めていました −−「自分には富と名声がある。しかし、クリスチャンになってアルコールや薬物依存症から解放された兄のような、心の平安がまったくない」と。彼は、心の平安を真剣に求めました。でも、教会に行こうとすると頭が痛くなったり、たとい教会の礼拝に出かけても途中で帰りたくなってしまうのです。それでも彼には、この道しかないという確信が心のどこかにあって、礼拝に出つづけました。するとそのうちに、聖書を読むことや礼拝に出席することが楽しくなってきたというのです。しかもジョルジーニョは、そうした楽しみを味わううちに、次のようなことを発見しました。つまり、

 「人間は、神によって神の姿に造られた。それにもかかわらず、サタンにだまされて神に背き、自分中心という罪人の道を歩き始めた。そこから死とあらゆる災いが生じた。しかし、神はそのような人間をも憐れみ、ひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされた。キリストは死すべき人の身代わりとなって十字架で死に、三日後に復活されたことによって罪と死を滅ぼしてくださった。このイエス・キリストを救い主として信じるものは、罪と永遠の死から解放され、新しく生まれ変わり、永遠の命を頂くことが出来る。そして、この真理こそが薬物やアルコール依存症の兄を新しく生まれ変わらせたのだ」ということを。

 聖書が言う「最も大切なこと」(1コリント15:3)を発見したとき、ジョルジーニョのこころの中で大きな変化が起りつつありました。彼は、神のチームでプレイをする招待を受けていたのでした。(続く)(SDA東京中央教会主任牧師)

戻る